【佐藤太清】文化勲章受章者の買取作家・取扱い一覧

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佐藤太清

佐藤太清
佐藤太清(1913~2004)
京都府出身の昭和~平成時代に活躍した日本画家です。
写実的な風景画の中に緻密に描いた花鳥画を融合させ、薄い色彩を何度も何度も塗り重ね独自の色彩感、立体感を表す技法を用いている事で知られています。
「自然とにらめっこをして、自然以上のものを描く」という言葉を信念に、画家としては遅咲きながらも多くの作品を発表してきました。
 
生まれる前に父親を亡くし、母親も出産直後に亡くなってしまい寂しい少年時代を過ごした佐藤太清は、その寂しさを紛らわすかのように絵の世界に没頭していくようになりました。
本格的に画家を志すようになると、商業学校を卒業後上京し、20歳で児玉希望の内弟子となって画技を磨いていきました。
戦争により召集を受けますが病気となり召集が解除となった後も病魔と闘い、画家としてスタートする事ができたのは30歳の時に新文展で初入選を果たしてからでした。
 
画家として遅いスタートを切った佐藤太清ですが、人一倍努力をし、次々に入選・受賞を重ね、日本芸術院賞を受け日本芸術院会員となりました。
もちろん、後進の指導にもあたっており、現代日本画壇の重鎮としての地位を築いていきました。
しかし、またも病魔が佐藤太清の体を襲い、「鳥の羽一本一筋、鳥の黒眼の位置、少しでも自分の思うように描けなくなったら、自分は絵を止める」と決めていた佐藤太清はこの入院で体力的にも限界を感じ、制作活動に終止符を打ちました。
その一方で、若い世代の美術奨励として「福知山市佐藤太清賞公募展」「佐藤太清記念中学生絵画展」の開催のために尽力しました。
 
佐藤太清の作風は、はじめは「児玉希望の画風を真似るな」と言われていたため、風景画の制作はほとんど行っていませんでした。
そのため、花鳥をモチーフに独自に狩野派、土佐派など古典的な描法を研究し、それを現代花鳥画という形で発表し、児玉希望が亡くなってから風景画を手掛けるようになりました。
写生、デッサンに重きをおいた作品は細部まで緻密に描かれ、亡くなった今でも根強い人気を誇っています。

佐藤太清年表


1913年 京都府で生まれる
1931年 福知山実践商業学校を卒業し上京する
1933年 児玉希望に師事する
雅号を「太清」とする
1943年 第6回新文展で初入選となる
1947年 第3回日展で特選となる
1966年 第9回日展で文部大臣賞を受賞する
1967年 日本芸術院賞を受賞する
1980年 日展常務理事に就任する
1981年 紺綬褒章を受章する
1988年 文化功労者となる
1992年 文化勲章を受章する
1993年 福知山市名誉市民となる
2004年 逝去

1913年 京都府で生まれる

1931年 福知山実践商業学校を卒業し上京する

1933年 児玉希望に師事する

00000年雅号を「太清」とする

1943年 第6回新文展で初入選となる

1947年 第3回日展で特選となる

1966年 第9回日展で文部大臣賞を受賞する

1967年 日本芸術院賞を受賞する

1980年 日展常務理事に就任する

1981年 紺綬褒章を受章する

1988年 文化功労者となる

1992年 文化勲章を受章する

1993年 福知山市名誉市民となる

2004年 逝去


佐藤太清代表作

鯛

『かすみ網』

『東大寺暮雪』

『旅愁』

『佐田岬行』

『雪つばき』

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