【守屋多々志】文化勲章受章者の買取作家・取扱い一覧

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守屋多々志

守屋多々志
守屋多々志(1912~2003)
岐阜県出身の昭和~平成時代に活躍した日本画家です。
歴史と古典への深い教養に根ざし、歴史人物を堅牢な絵画空間の中に描きだした歴史画に高い評価を受けており、その知識と姿勢が評価され、歴史考証が必要な小説挿絵や舞台美術、衣装デザインの分野でも活躍を見せました。
その代表作としては、吉川英治「新平家物語」、黒岩重吾「日と影の王子 聖徳太子」、城山三郎「秀吉と武吉」の挿絵原画を担当し、黒沢明監督の映画「羅生門」の衣装デザインを行っています。
また、本能寺の依頼による『法華宗開祖日降聖人絵巻』の制作や百人一首の画像研究に打ち込み、『百人一首歌人像』を制作しています。
 
岐阜県大垣市の味噌たまり醸造元の家に生まれた守屋多々志は、生後100日目に米屋を営む分家の養子となり、謡曲に堪能な養父と文学好きな養母に育てられました。
その影響で画家を志すようになり歴史画の大家・前田青邨に書生として入門し、写生と並行して「源氏物語絵巻」「餓鬼草紙」「豊明絵草紙」などの絵巻物を模写して研鑽を積み、東京美術学校日本画科へ入学し、卒業制作『白雨』は川端玉章賞を受賞するなど画家としての頭角を現します。
しかし、召集を受け満州、ハルピンに駐屯し、海軍軍令部で小説家の吉川英治とともに海軍史編纂に従事しており、海軍記念館に壁画『蒙古襲来』を制作しました。
 
戦争が終わり、総理府留学生としてイタリアへ2年間の留学を経た守屋多々志の作風は明らかに洋画を意識した重厚なマチエールが見られるようになりましたが、次第に武者絵を中心に背景に金泥を使うなど豪壮な作品へと変化し、さらに黒を多用した暗めの作品や直線で画面を区切ったり、独特の遠近感を持たせたりする作品を生み出しました。
また、前田青邨に入門した日から一日も欠かさず写生を続けており、25000枚の絵日記を残しており、守屋多々志の確かな描写力はこの絵日記の数が生み出した賜物だと言われています。

守屋多々志年表


1912年 岐阜県で生まれる
1930年 上京し、同郷の前田青邨に師事する
1931年 東京美術学校日本画科に入学する
1936年 東京美術学校を卒業する
1941年 再興日本美術院第28回展で初入選となる。
1943年 第30回院展で入選、この年から雅号を「多々志」とする
1954年 総理府留学生としてイタリアに2年間留学する
1967年 法隆寺金堂壁画再現模写開始する
1972年 文化庁より高松塚古墳壁画模写を委嘱され、東壁の女性群像を担当する
1974年 日本美術院同人に推挙される
1976年 飛鳥保存財団より委嘱され、高松塚壁画館に展示するための壁画模写(20面)に総監督として従事する
1977年 文部大臣賞を受賞する
1984年 ローマ教皇庁より聖シルベストロ教皇騎士団勲章を受章する
1985年 内閣総理大臣賞を受賞する
2001年 文化勲章を受章する
2003年 91歳で逝去

1912年 岐阜県で生まれる

1930年 上京し、同郷の前田青邨に師事する

1931年 東京美術学校日本画科に入学する

1936年 東京美術学校を卒業する

1941年 再興日本美術院第28回展で初入選となる。

1943年 第30回院展で入選、この年から雅号を「多々志」とする

1954年 総理府留学生としてイタリアに2年間留学する

1967年 法隆寺金堂壁画再現模写開始する

1972年 文化庁より高松塚古墳壁画模写を委嘱され、東壁の女性群像を担当する

1974年 日本美術院同人に推挙される

1976年 飛鳥保存財団より委嘱され、高松塚壁画館に展示するための

00000年壁画模写(20面)に総監督として従事する

1977年 文部大臣賞を受賞する

1984年 ローマ教皇庁より聖シルベストロ教皇騎士団勲章を受章する

1985年 内閣総理大臣賞を受賞する

2001年 文化勲章を受章する

2003年 91歳で逝去


守屋多々志代表作

薔薇
薔薇

『ふるさとの家』

『砂に還る』

『月の宴』

『初陣』

『住吉燈台 夏祭』

『遊行柳 芭蕉』

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