【坂本繁二郎】文化勲章受章者の買取作家・取扱い一覧

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坂本繁二郎

坂本繁二郎
坂本繁二郎(1882~1969)
福岡県出身の明治~昭和時代に活躍した日本の洋画家です。
「馬の画家」と呼ばれたほど多くの馬の絵を残しており、その他にも柿、栗などの静物や能面をモチーフにした作品、最晩年に残した月を題材にした作品も独自の境地を開いています。
第二次世界大戦後は梅原龍三郎、安井曾太郎と並ぶ洋画会の巨匠と見なされるようになり、同郷の青木繁は親友でもあり、ライバルとして互いに意識し合っていたそうです。
 
10歳で地元久留米在住の画家・森三美に師事して絵を学んでいた坂本繁二郎は、高等小学校に上がる頃にはかなりの技量を持っており、「神童」ともてはやされていました。
森三美は久留米高等小学校の図画教師をしていましたが、他校へ転任する事が決まり、坂本繁二郎を自分の後任として指名し、坂本繁二郎は図画代用教員となります。
そんな中、東京で絵を勉強していた青木繁が徴兵検査のために帰郷しており、その作品を見た坂本繁二郎は青木繁の画技の上達に驚きを隠せませんでした。
こうしてわずか数か月後には青木繁とともに上京し、小山正太郎の不同舎に入りました。
文展で入選し、二科会創立にも参加するなど活躍の場を広げていった坂本繁二郎は渡仏してシャルル・ゲランに師事しました。
フランスでは有名な画家の作品よりも、ありのままの自然に心奪われ、柔らかい色彩はより明るく、鮮やかさを増していきました。
こうして生まれた『ブルターニュ』は物の形を単純化し、色彩を重ねることで表現され、写実を超えて見る者の想像力へ訴える画法へと変化していき、この画法で描いた肖像画『帽子を持てる女』は本場の画家たちから高く評価されました。
 
帰国してからは東京に戻る事なく九州で制作活動を続け、梅野満雄の援助で福岡県八女の梅野宅の隣地にアトリエを建立しています。
フランスで学んだ画法を用いて九州の風景を描き続け、物の存在の本質的な追求を続けました。
自らの制作活動を行う一方で、28歳という若さで亡くなった青木繁の遺作展の開催や画集の刊行のために奔走しており、坂本繁二郎が亡くなった後、青木繁の画学生時代に描いたと思われる未発表のスケッチなど60数点が発見され、坂本繁二郎がなぜこれらの存在を誰にも知らせずに秘蔵していたのかは現在でも分かっていません。

坂本繁二郎年表


1882年 福岡県で生まれる
1891年 両替尋常小学校を卒業する
1900年 母校の図画代用教員となる
1902年 図画代用教員辞職する
上京し、小山正太郎の不同舎に入る
1903年 太平洋画会研究所へ通う
1907年 東京勧業博覧会で三等賞を受賞する
第1回文展で入選する
1908年 北沢楽天主宰の東京パックに入社する
1910年 権藤薫と結婚する
第4回文展で褒状となる
1911年 東京パックを退社する
山本鼎と帝国劇場出演俳優の色彩木版画「草画舞台姿」を刊行する
第5回文展で三等賞を受賞する
1921年 渡欧し、シャルル・ゲランのアカデミー・コラロッシに入る
1923年 サロン・ドートンヌに出品する
1924年 帰国する
1925年 第12回二科展で滞欧作12点 他2点が特別陳列される
1931年 梅野満雄の援助でアトリエを建立する
1945年 西部美術協会結成と同時に協会長となる
1947年 梅原龍三郎・安井曽太郎と三巨匠自選洋画名作展を開催する
1948年 福田平八郎と二人展を開催する
1949年 九州タイムズ文化賞を受賞する
1952年 福田平八郎・徳岡神泉と草人社三人展を開催する。
1954年 毎日美術賞を受賞する
八女市名誉市民となる
第27回ヴェネツィア・ビエンナーレ展に日本代表出品する
1956年 文化勲章を受章する
青木繁・坂本繁次郎作品展を開催する
1958年 坂本繁次郎・鳥海青児二人展を開催する
1963年 朝日賞を受賞する
1967年 荒川豊三茶碗に下絵を描く
1969年 87歳で逝去

1882年 福岡県で生まれる

1891年 両替尋常小学校を卒業する

1900年 母校の図画代用教員となる

1902年 図画代用教員辞職する

00000年上京し、小山正太郎の不同舎に入る

1903年 太平洋画会研究所へ通う

1907年 東京勧業博覧会で三等賞を受賞する

00000年第1回文展で入選する

1908年 北沢楽天主宰の東京パックに入社する

1910年 権藤薫と結婚する

00000年第4回文展で褒状となる

1911年 東京パックを退社する

00000年山本鼎と帝国劇場出演俳優の色彩木版画「草画舞台姿」を刊行する

00000年第5回文展で三等賞を受賞する

1921年 渡欧し、シャルル・ゲランのアカデミー・コラロッシに入る

1923年 サロン・ドートンヌに出品する

1924年 帰国する

1925年 第12回二科展で滞欧作12点 他2点が特別陳列される

1931年 梅野満雄の援助でアトリエを建立する

1945年 西部美術協会結成と同時に協会長となる

1947年 梅原龍三郎・安井曽太郎と三巨匠自選洋画名作展を開催する

1948年 福田平八郎と二人展を開催する

1949年 九州タイムズ文化賞を受賞する

1952年 福田平八郎・徳岡神泉と草人社三人展を開催する。

1954年 毎日美術賞を受賞する

00000年八女市名誉市民となる

00000年第27回ヴェネツィア・ビエンナーレ展に日本代表出品する

1956年 文化勲章を受章する

00000年青木繁・坂本繁二郎作品展を開催する

1958年 坂本繁二郎・鳥海青児二人展を開催する

1963年 朝日賞を受賞する

1967年 荒川豊蔵茶碗に下絵を描く

1969年 87歳で逝去


坂本繁二郎代表作

『能面』

『牛』

『放牧三馬』

『水より上がる馬』

『林檎と馬鈴薯』

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