東京都出身の昭和時代に活躍した日本の洋画家です。
風景画を得意とし、城や廃墟などの建造物を主体とした作品とパンジーなどの植物を中心とした作品が主で、その作品は独自の点描技法が特徴です。
劇評家・岡鬼太郎の長男として生まれ、岡家はもと佐賀鍋島藩の出で、鹿之助というのは祖父の名からとられたものだといわれています。
東京美術学校に入学して西洋画を学び、パリに留学すると藤田嗣治に師事しています。
パリの留学で痛感した事は自分のマチエールが西洋絵画のそれに比べて劣っている事でした。
こうして試行錯誤を重ね完成したのが独自の点描技法でした。
西洋近代絵画史おいて点描画法を用いる代表的な作家としてジョルジュ・スーラが挙げられますが、岡鹿之助が点描技法を生み出した頃、ジョルジュ・スーラは無名で作品も知られていなかったため、影響を受けた可能性は低いとされています。
その証拠にジョルジュ・スーラの点描画法はキャンヴァス上に並置された異なった色の2つの点が視る人の網膜上で混合し別の色を生み出すという、「視覚混合」の理論を応用したものであったのに対し、岡鹿之助の点描はむしろ同系色の点を並置することによって堅固なマチエールを達成しようとするものですので、同じ点描画法でも違う部分が見られます。
岡鹿之助はこの技法を用いて静かさに満ちた幻想的な風景画を多く残し、その中でも雪景色やパンジーは代表的なモチーフとして知られています。
パリから帰国した岡鹿之助はパリで取得した点描画法を使って藤田嗣治やアンリ・ルソーから影響を受けた考え抜かれた構図や細やかな筆致で春陽会を中心に活躍を見せ、日本芸術院会員、文化勲章受章など輝かしい功績を残しました。