兵庫県出身の日本の洋画家で、ルノワールのような裸婦像の名手として知られています。
正統的な写実の表現を追求した作品は明るく芳醇な色彩が実に見事で、見る者を惹きつける不思議な力を携えています。
禅寺に生まれ、幼い頃から僧侶への道を期待されていた伊藤清永ですが、絵に興味を持ち、岡田三郎助の知遇を受け本郷洋画研究所で本格的に絵を学びます。
その後東京美術学校に進学し、在学中に槐樹展に出品し初入選を果たします。
この他にも白日展で白日賞を受賞しており、卒業後に文展選奨受賞となっています。
ちなみに絵の勉強をした7年間は母校・旧制愛知中学の先生たちが絵の具代にと絵を買ってくれた事で、お金に困る事なく絵の勉強に専念できたそうです。
戦時中は召集され出兵となりますが、復員後は兄に代わって寺の住職代理をつとめながら日展を中心に出品し、二年連続で特選となると内閣総理大臣賞、日本芸術院賞など様々な賞を受賞しています。
伊藤清永の作風は当初、風景画や静物画などを展開していましたが、戦争を境に裸婦画が中心となっていきます。
これはフランスに渡った事で色彩の研究を行い、以前よりも色鮮やかな色彩で表現できるようになり、重厚で温かみのある画風に変化させていった事でその画風に合った題材として裸婦が選ばれていきました。
もちろん、裸婦以外にも色彩豊かな薔薇なども手掛けており、絶筆作品として知られています。
1911年 兵庫県で生まれる
1928年 岡田三郎助門下生となり本郷研究所入所する
1931年 初めて公募展に出品し、槐樹杜展で入選となる
1933年 第14回帝展で初出品、初入選となる
1934年 第15回帝展に出品する
1935年 東京美術学校油絵科を卒業する
1936年 文部省美術展で選奨(特選)を受賞する
1945年 兄巍典に代わりに吉祥寺の住職代理をつとめる
1947年 第3回日展で特選を受賞する
兵庫県立出石高等女学校図画教員嘱託となる
1948年 第4回日展で特選を受賞する
1953年 伊藤絵画研究所を創設する
1956年 日展審査員となる
1962年 渡欧し、パリ滞在制作後オランダ国立美術学校で制作する
1977年 「曙光」が日本芸術院恩賜賞および日展内閣総理大臣賞を受賞し、
文化庁買い上げとなる
日展理事に就任する
1986年 白日会会長となる
1987年 兵庫県出石町主催「現代洋画壇の重鎮・伊藤清永展」を開催する
1989年 兵庫県文化賞を受賞し兵庫県公館に作品が展示保存される
出石町立伊藤美術館開館 名誉町民となる
生家吉祥寺の山門落成、本堂天井画「飛天」「風神雷神」奉納する
兵庫県文化賞を受賞する
1991年 文化功労者、日展顧問となる
1996年 文化勲章を受章する
式年遷宮記念神宮美術館企画運営委員会委員となる
1997年 「伊藤清永賞子ども絵画展」を創設する
鮮麗なる裸婦の輝き伊藤清永展一文化勲章受章を記念して」を開催する
2001年 急性心不全のため軽井沢病院で逝去
1911年 兵庫県で生まれる
1928年 岡田三郎助門下生となり本郷研究所入所する
1931年 初めて公募展に出品し、槐樹杜展で入選となる
1933年 第14回帝展で初出品、初入選となる
1934年 第15回帝展に出品する
1935年 東京美術学校油絵科を卒業する
1936年 文部省美術展で選奨(特選)を受賞する
1945年 兄巍典に代わりに吉祥寺の住職代理をつとめる
1947年 第3回日展で特選を受賞する
00000年兵庫県立出石高等女学校図画教員嘱託となる
1948年 第4回日展で特選を受賞する
1953年 伊藤絵画研究所を創設する
1956年 日展審査員となる
1962年 渡欧し、パリ滞在制作後オランダ国立美術学校で制作する
1977年 「曙光」が日本芸術院恩賜賞および日展内閣総理大臣賞を受賞し、
00000年文化庁買い上げとなる
00000年日展理事に就任する
1986年 白日会会長となる
1987年 兵庫県出石町主催「現代洋画壇の重鎮・伊藤清永展」を開催する
1989年 兵庫県文化賞を受賞し兵庫県公館に作品が展示保存される
00000年出石町立伊藤美術館開館 名誉町民となる
00000年生家吉祥寺の山門落成、本堂天井画「飛天」「風神雷神」奉納する
00000年兵庫県文化賞を受賞する
1991年 文化功労者、日展顧問となる
1996年 文化勲章を受章する
00000年式年遷宮記念神宮美術館企画運営委員会委員となる
1997年 「伊藤清永賞子ども絵画展」を創設する
00000年鮮麗なる裸婦の輝き伊藤清永展一文化勲章受章を記念して」を開催する
2001年 急性心不全のため軽井沢病院で逝去