初代・土佐一水が蒼竜石の採掘が行われている国有地の河向かいの私有地から採石していましたが、良質の石が取れなくなったため国有地の方からも採石するようになりました。
蒼竜硯と中村硯は同じ石からできていますが、青竜硯が商標登録されていたため、その名前が使用できず、中村硯として製作するようになりました。
昭和46年頃から初代とその妻、親戚で作硯を始め、昭和60年を過ぎた頃から2代目が加わるようになり、百貨店や高知県の特産展などで精力的に活動し、関西・四国・中国地方を中心に出回り有名になりました。
極めて強い鋒鋩を持ちマッチを擦ると点火するほどで、良質の硯だといわれています。