中国・安徽省歙県出身の清の康熙帝時代に活躍した墨匠です。
曹素功と同じ時代に活躍した汪近聖、汪節庵、胡開文と合わせて清代製墨の「四大家」と呼ばれています。
曹素功は本名を聖臣、字を昌言といい、素功は号になります。
若い頃から墨を愛す気持ちが強く、特に明墨(明の時代に作られた墨)で名高い程君房の墨を特に気に入っていたようです。
一時は官職に就いた曹素功ですが帰郷し、明末の名工として知られた呉叔大の玄栗齋で製墨法を学びます。
ちょうどその頃、時代は明から清へと王朝が移り変わり、呉叔大が閉鎖される事になりました。
それを惜しんだ曹素功は全てを譲り受けて継承する形で、「曹素功」という名の店を開きました。
こうして代々の店主が曹素功の名を襲名していくようになります。
曹素功は実用的な質の良い墨を作る事に尽力しており、当時の文人や官僚から高く評価され、宮中へ献上する貢墨などの高級墨の多くを手がけました。
一方で曹素功の店は中国各地へと広がっていき、胡開文とともに二大製墨業として繁栄していきます。
しかし、中華民国を経て中華人民共和国となり、文化大革命が起こると曹素功は胡開文と統合されてしまい、上海墨廠として墨の量産が行われるようになりました。
それは1978年に行われた改革開放政策によって民営化されるまで続き、上海墨廠はいくつかの個人経営の墨廠となり、曹素功はブランド名として現在まで続いています。