宮城県仙台市で作られる防塵、防虫、防水の効果が強い楮を原料にした強靭な和紙です。
仙台藩主・伊達正宗が米作り以外の産業を強化する一貫として始まりました。
まず、福島から紙漉きの職人を呼び、和紙作りの指導にあたらせ、提灯や障子紙、包装紙など日常的に使えるものを製作しました。
明治・大正時代前半が最盛期といわれており、当時の近くに住む若者たちは「柳生に行くと太白(白砂糖)を食べられる」といって争って手伝いに来たといわれ全国的にも有名になりました。
西洋紙の需要が増えると、柳生和紙の生産は減っていき、柳生地区の農家でのみ作られるものとなり、現在ではその農家も1戸しか残っていません。
しかし、地域に支援されながら、地物との小学校や中学校では卒業証書にこの柳生和紙を使い、総合学習でも「和紙づくり体験」を行うなどして、伝統を途絶えさせないように尽力しています。