呉興(現・浙江省)の出身の中国の画家です。
黄公望、呉鎮、倪瓚らと並ぶ 元末四大家の一人として知られ、南宋画の大成者の一人とまで称されています。
絵画だけでなく詩作にも優れた才能を発揮しました。
元初期を代表する文人である趙孟頫の外孫である王蒙は、父親が黄公望や倪瓚とも親交があるほどの文人であった事から、画家としての道を志すようになります。
祖父・趙孟頫の影響を強く受けながらも黄公望に師事し、学びました。
その後、唐時代の王維、宋時代の巨然らの影響も受けて緻密ながら壮大な山水画を手掛けるようになり、王蒙の画風が完成していきます。
元末期には仕官しましたが国が乱れ、各地で騒乱が発生するとその騒乱から逃れるために官職を辞め、杭州北部の黄鶴山に隠棲しました。
この時に号を「黄鶴山樵」として活動を行っています。
やがて時代は明へと移り変わり、洪武帝の招聘を受けて州知事にまで昇進しましたが、胡惟庸の獄に連座して獄死という形でこの世を去ってしまいました。