【啓功】中国美術の買取作家・取扱い一覧

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啓功

啓功
啓功(1912~2005)
中国・北京出身の書家として知られており、教育家、詩人としての顔も持っています。
姓は愛新覚羅で、字は元伯、元白があり、中国を統一し清朝を打ち立てた家系で清朝雍正帝の九代目子孫でもあります。
しかし、生涯「愛新覚羅」を名乗る事はなく、自らの実力で中国書道界の大御所の地位を手にしました。

幼い頃に父親が亡くなると祖父に育てられ、文学や書画を学んでいました。
北京匯文中学(高校)に通っていましたが、祖父が亡くなると中退し、独学で絵画を極めていくようになります。
そんな中、傅增湘の紹介で陈垣の授業を受け、文学に興味を持った啓功は次第に文学の世界にものめり込むようになっていきます。
こうした研鑽が実を結び、後輔仁大学の美術学部と中国文学学部の助教授となり、約60年間教鞭をとり、後進の指導、育成に力を注ぎました。

啓功の人柄はおおらかで、ユーモアあふれるやわらかい物腰が多くの人々との交流を持ち、当時の中国ではお店の看板などを啓功に揮毫の依頼をする所が多く、街中でも啓功の書を目にする事ができます。
しかし、あまりにも多くの依頼が殺到するため、対策として自宅の部屋の入口には「病気のため、面会謝絶」といった札を掲げるなどの対応策で相手を傷つけずに依頼を断っていたそうです。

また、啓功の作風は文化大革命時代に毎日のように朝から晩まで他人の書いた文字を毛筆で大きく書き写すように命ぜられていた事で生まれたもので、啓功自身が生み出した独自の表現を感じる事ができます。

啓功年表


1912年 生まれる
1913年 父が亡くなり、祖父と共に生活する
1923年 祖父が亡くなる
1924年 北京匯文中学(高校)に通う
1927年 傅增湘の紹介で陈垣の授業を受ける
1932年 結婚、絵画を販売し生計を立てる
1935年 辅仁大学美術科の助手を担当する
1938年 辅仁大学国文科の講師を担当する
1943年 北京大学博物館の助教授を担当する
1971年 妻が亡くなる
1977年 『诗文声律论稿』を出版する
1981年 中国書家協会を創立し、副主席に就任する
1984年 中国書家協会の首席に就任する
1986年 国家文化財鑑定委員会の主任に就任する
1990年 香港で展覧会を開催する
1991年 日本へ来日し、大阪博物館の中国書画を見学する
1992年 北京・広州・日本で展覧会を共同開催する
1994年 韓国で個展を開催する
1996年 アメリカ・ドイツへ訪問し中国書画を見学する
1997年 書画代表団と共にシンガポールを訪問し作品展を開催する
2005年 93歳で逝去

1912年 生まれる

1913年 父が亡くなり、祖父と共に生活する

1923年 祖父が亡くなる

1924年 北京匯文中学(高校)に通う

1927年 傅增湘の紹介で陈垣の授業を受ける

1932年 結婚、絵画を販売し生計を立てる

1935年 辅仁大学美術科の助手を担当する

1938年 辅仁大学国文科の講師を担当する

1943年 北京大学博物館の助教授を担当する

1971年 妻が亡くなる

1977年 『诗文声律论稿』を出版する

1981年 中国書家協会を創立し、副主席に就任する

1984年 中国書家協会の首席に就任する

1986年 国家文化財鑑定委員会の主任に就任する

1990年 香港で展覧会を開催する

1991年 日本へ来日し、大阪博物館の中国書画を見学する

1992年 北京・広州・日本で展覧会を共同開催する

1994年 韓国で個展を開催する

1996年 アメリカ・ドイツへ訪問し中国書画を見学する

1997年 書画代表団と共にシンガポールを訪問し作品展を開催する

2005年 93歳で逝去


啓功代表作


『启功丛稿』
『启功韵语』
『古代字体论稿』

『启功丛稿』

『启功韵语』

『古代字体论稿』


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