黄胄は中国・河北省に生まれた画家です。
幼少時代から民間の演芸にふれ、
祖父の農業の手伝いをしながら村内の演劇会に参加していました。
また、父の趣味が芸術だった事から画にも興味があり、
独学で知識や技術を身に着けていきました。
小学校を卒業し、初級中学へ通うも、
父の死去により中途退学を余儀なくされてしまいました。
その後は西安へ渡り、
画家・趙望雲に出会い、師事し、画を学びます。
翌年には趙望雲と共に新疆ウイグル自治区へ赴き
写生技術を高めていきました。
主に、ロバやラクダなどの動物や民族の風情を描きました。
1957年には「洪荒风雪」が交歓祭で金賞を受賞を受賞し
美術界に確固たる地位を築き上げました。
80年代は、香港・シンガポール・イギリス・日本・ドイツなどで
個展を開催し、高い評価を受けています。
日本では「百驴图」を天皇陛下へ献上した事で知られています。
1925年 生まれる
1933年 小学校に入学
1941年 父が病死し、初級中学を中途退学
1942年 西安へ移住
1943年 趙望雲に出会い、師事する
1944年 趙望雲と共に新疆ウイグル自治区へ出向き、写生を行う
1945年 西安へ戻り画家の司徒喬と知り合う
1947年 雑誌の編集を担当
1942年 蠡県中学(高校)の美術の教員を担当
1952年 「苹果花开的时候」が展覧会で賞を受賞
1953年 「打马球」が全国青年絵画展の一等賞を受賞
1954年 師範美術学院の講師を担当、郑闻慧と結婚
1955年 総政治文化部の作品員を担当
1957年 「洪荒风雪」が交歓祭で金賞を受賞
1958年 「赶集」が交歓祭で銅賞を受賞
1959年 中国人民革命軍事博物館の顧問を担当
1960年 軍事召集により兵隊として1年間過ごす
1961年 軍事記者として戦いの最前線で写生をする
1963年 初の画集が出版される
1964年 母が死去
1975年 軽工業工芸美術の顧問を担当
1978年 日本の天皇陛下へ「百驴图」を献上
1980年 中国画研究委院の常務副理事長を担当
1988年 黄胄美術基金会を創立
1991年 黄帝芸術館を創立し館長を務める
1997年 72歳で逝去
画家与时代
爹去打老蒋
人畜两旺
苹果花开的时候
打马球
在战火燃烧过的地方
金色的道路
春节劳军图
洪荒风雪
赶集
我爱北京天安门
女民兵
炊事员
巡逻图
藏童上学
井冈山第一面红旗
谈心
亲人
松鹰图
百驴图