中国・蘇州(現・江蘇省)出身の中国元朝末期に活躍した画家です。
倪瓚、呉鎮、王蒙と並び「元末四大家」と称されており、職業画家ではなかったため、現存する作品は希少で、その作品のほとんどが晩年に描かれたものです。
幼くして両親を亡くした黄公望は、浙江省温州の黄家に養子に出され、黄家で十分な教育を受けて育ちました。
才能はあった黄公望ですが、科挙が不定期でしか実地されず、行われても旧南宋領域の住人には著しく不利であったため長らく官に就く事ができませんでした。
40歳を過ぎて初めて蘇州の属吏となりましたが、黄公望自身にはまったく関係のない徴税不正事件に連座して失職してしまいます。
この事がきっかけで黄公望は官界での出世は絶望的となり、占い師、戯曲家、道士などで生計を立てていました。
そんな中、黄公望の事をよく理解していた人物であった趙孟頫は黄公望に画家になる事を勧め、黄公望は50歳という年齢で画家としての道を歩み始めました。
こうして亡くなるまで精力的に制作活動を続けた黄公望は、79歳の時に3~4年の歳月を費やして描いた『富春山居図』を完成させます。
『富春山居図』は後に史上最高峰の水墨画として賞賛され、現在でも高い評価を受けています。