劉雨岑を買取ります
劉雨岑は中華民国時代初期に活躍した名画工で、名を玉成、雨城などといい、別号は澹湖渔、六旬后号巧翁などがあり、字(あざな)を覚盒、飲冰といいました。
「珠山八友」と総称された一人で、「珠山八友」とは人物の王琦・王大凡、花鳥の程意亭・劉雨岑、魚藻の鄭碧珊、梅花の田鶴仙、山水の汪野亭、松竹の徐仲南の8人の事で、汪野亭、徐仲南などの画工は、線描・光影・色彩などの面において宋元以来の工筆画や写意画および、西洋の油絵の技法を瓷画に導入し、瓷画を伝統的な紙や絹の絵画に劣らないものまでに発展させた事で知られています。
一方、劉雨岑は王琦と共に「瓷業美術研究社」「月園会」を創立する活躍を見せています。
江西省立甲种工業窯業学校に入学した劉雨岑は、潘勾宇に師事して中国画を勉強しました。
その後、景徳鎮陶瓷世家・朱受之の娘である朱秋霞と結婚すると花鳥走獣絵を手掛けるようになります。
景徳鎮の絵瓷名人であった王琦に弟子入りすると瓷画を極めるために修行を重ね、早くからその頭角を現します。
恽南田、任伯年に没骨法を学ぶと工筆の技法と併用し、新たな粉彩絵技法「水点技法」を生み出し、「水点技法」を用いた瓷画は中国写意画のように描く事ができるようになりました。
この「水点技法」は後に劉雨岑の息子・劉平が改良を加え、「水点桃花技法」を生み出しています。
劉雨岑の活躍はこれだけにとどまらず、1950年代の中国政府礼賓用品、釣魚台国賓館用品は劉雨岑の指導のもと制作が行われており、この他にも劉雨岑の優秀作品は故宫博物院に収蔵されています。