中国・江蘇省太倉県出身の画家です。
呉湖帆、張石園、陸儼少などに山水の画法を学んでおり、伝統的な山水画を継承しつつ風景を俯瞰した構図が特徴で、他の作家の優れた所を吸収し、独自のアレンジも加えオリジナルの作品を作り上げました。
南京大学教授、江蘇美術家協会副主席、江蘇省国画院副院長などを歴任しており、後進の指導にもあたっています。
小学校を主席で卒業した宋文治は、上海秀堂広告社に入社して中国画に興味を持つようになります。
上海秀堂広告社を辞めると美術教師として働くようになり、学校の絵画展で作品を発表するようになります。
こうして着実に画家としての道を歩みはじめた宋文治は江蘇省国画院に入り、傅抱石の影響を受け新たな山水画を模索し、絵画展で受賞を重ねていきました。
その功績が認められ、中国美術家協会に参加するなど画家として本格的に活動をはじめ、北京中国美術館、江蘇省美術館、安徽省博物館と香港、日本、シンガポール、西ドイツで個展を開催し、世界中から高い評価を受ける画家へと成長しました。
これらの作品は主に中国美術館、中国人民革命軍事博物館、米国ボストン博物館、日本福岡美術館などが所蔵しています。
1919年 江蘇省太倉県で生まれる
1931年 初級小学校を主席で卒業する
1935年 上海秀堂広告社に入社、中国画に興味を持つ
1936年 上海秀堂広告社を辞職する
1938年 太倉城中小学校の美術教師の後、太倉瀏川小学校の美術教師を担当する
1941年 江蘇美術学校に入学、日清戦争の影響で停学する
1942年 太倉へ戻り任城中小学校の美術教師を担当する
1943年 太倉中学の美術教師を担当する
1946年 杨冰女と結婚する
1947年 安亭模範の教師を10年間務める
1948年 花鳥・山水などの作品を学校の絵画展で披露する
1957年 江蘇省国画院に入る
1956年 江蘇省の絵画展に参加し、三等賞を受賞する
1961年 絵画展に参加、中国美術家協会に参加する
1976年 心臓病を患い治療を開始する
1978年 北京の招待で作品を作成する
1979年 栄宝斉などと絵画展を開催、西冷印社に入社する
1980年 日本での書画展に参加、中国美術教会の副主席を担当する
1981年 日本で栄文治と共同の新作展を開催する
1984年 日本の富士山、日光などを遊覧する
1985年 中国美術協会の理事を担当する
1988年 ニューヨークの絵画展に参加する
1987年 ニューヨークの美術館の芸術展に参加する
1999年 80歳で逝去
1919年 江蘇省太倉県で生まれる
1931年 初級小学校を主席で卒業する
1935年 上海秀堂広告社に入社、中国画に興味を持つ
1936年 上海秀堂広告社を辞職する
1938年 太倉城中小学校の美術教師の後、太倉瀏川小学校の美術教師を担当する
1941年 江蘇美術学校に入学、日清戦争の影響で停学する
1942年 太倉へ戻り任城中小学校の美術教師を担当する
1943年 太倉中学の美術教師を担当する
1946年 杨冰女と結婚する
1947年 安亭模範の教師を10年間務める
1948年 花鳥・山水などの作品を学校の絵画展で披露する
1957年 江蘇省国画院に入る
1956年 江蘇省の絵画展に参加し、三等賞を受賞する
1961年 絵画展に参加、中国美術家協会に参加する
1976年 心臓病を患い治療を開始する
1978年 北京の招待で作品を作成する
1979年 栄宝斎などで絵画展を開催、西冷印社に入社する
1980年 日本での書画展に参加、中国美術教会の副主席を担当する
1981年 東京で新作展を開催する
1984年 日本の富士山、日光などを遊覧する
1985年 中国美術協会の理事を担当する
1987年 ニューヨークの美術館の芸術展に参加する
1988年 ニューヨークの絵画展に参加する
1999年 80歳で逝去