中国・四川省出身の中国の画家です。
人物、山水、花鳥を得意としており、身近な風土を描く長安画派を立ち上げた人物として知られています。
中国美術家協会常務理事、中国画法協会常務理事、陝西省美術家協会主席、陝西省画法家協会主席、陝西国画院名誉院長、中国画研究員院務委員などを歴任するなど、中国美術界で活躍を見せました。
成都東方美術専科学院で学んだ石魯は、共産党の本拠地である延安の陝北公学院で版画・中国画を学び、制作に励んでいました。
しかし、中国画に転向し、『転戦陝北』を発表してから評価が徐々に上がっていき、趙望雲とともに長安画派を立ち上げます。
石魯は西北黄土高原を描き続けた画家としても知られており、粗削りな画風と題材から文化革命の時は「野・粗・乱・黒」と批判されてしまいます。
そして画風の「改革」を要求されますが、石魯は受け入れなかったため、弾圧が続き、ついに精神的に追い詰められていきました。
本来であれば死刑となっていましたが、心の病の治療のため入院していたため、死刑は免れる事ができました。
入院中も絵を描き続け、筆の激しさや墨の重さを感じる事のできる作品を多く残しました。