鄭板橋の作品を買取ります
鄭板橋は中国・江蘇省出身の書画家で、字(あざな)は克柔、号を板桥、板桥道人といいます。
詩・書・画すべてが高く評価され、三絶の誉れ高い孤立独往の文人として知られており、その中でも書がもっとも異彩を放っているといわれています。
その特徴は楷書の中に篆隷の要素を混ぜて書くことで独特の様式を作り上げており、隷書が三分の二で、楷書がその残りという意味から、漢隷の八分書になぞらえて「六分半書(ろくぶはんしょ)」と自ら称しました。
また、左右の長いはね出しや長い画の途中で筆を頓挫させるクセは黄庭堅の書風の影響が表れています。
揚州で書画を販売しながら科挙の受験勉強を続けていた鄭板橋は、挙人に及第し、進士の特別試験に合格して翰林院に入りました。
范県、濰県の知事を歴任したそれぞれの地で鄭板橋の詩・書・画は有名となり、赴任先では鄭板橋の書体が流行するほどでした。
こうして官僚として順風満帆でしたが、濰県一帯が大飢餓にみまわれた際、農民の救済に尽力した事が富豪や代官から恨みをかってしまい知事の職を剥奪されてしまいました。
帰郷した鄭板橋は友人の別荘のそばに擁緑園を構え、再び書画を売って暮らすようになります。
知事として活躍していた時から鄭板橋の詩・書・画は人気が高く依頼が殺到する中、それを回避するために自らの書画の揮毫料一覧表を作り、「大幅は6両、中幅は4両、小幅は2両」とし、「支払いは現金が嬉しい。嬉しいから書画の出来もよくなる。」といい評判となりました。