中国の清時代末期から中華民国時代はじめにかけて活躍した名工と知られる陶芸家で、卲友廷の養子です。
程壽珍の作品は茶壺と呼ばれる中国茶を飲むために欠かせない、日本の急須のような茶器を手掛けており、その作品には「氷水道人」の落款が記されているのが特徴です。
しかし、程壽珍の息子も同じ「氷水道人」の落款を使用しており、茶壺の市場ではしばしば混乱が起きているのも有名な話です。
茶壺の有名な産地といえば中国・江蘇省宜興市で、この地で採取できる茶壺の原料である紫泥は良質とされており、昔から多くの茶壺職人、作家を輩出してきました。
程壽珍もこの宜興で活躍しており、宜興陶器会社につとめ、江蘇省宜興陶器職業学校の技術講師をつとめたという経歴を持ち、その後は茶壺作家として国際的に数々の賞を受賞した事で知られています。
晩年では大倣鼓、漢扁、綴球と呼ばれる3種類の茶壺しか制作していなかったようで、コレクターの間では高い人気を誇っています。
特に倣古壺と呼ばれる昔の作家や著名な作家が手掛けた茶壺、または古代の茶壺に倣って制作された作品は古代の茶壺の良さと程壽珍自身の高い技術力によって、新たな魅力を携えた作品へと仕上がっています。
ちなみに倣古壺の始まりは清代の邵大亨が初めとされており、諸説あるそうです。