清朝時代の末期から中華民国時代の初期に活躍した学者・書家です。
字(あざな)は「惺吾」で、号は「鄰蘇」です。
商人の家に生まれた為、昼間は家業を手伝い、夜は月明かりの下で学業に専念し、朝ニワトリが鳴く頃に就寝するという生活を11歳の時から続けていました。
その苦労の甲斐あって、1862年には科挙に合格し挙人となりました。
駐日公使の随員として東京に4年間在住していた事があり、当時、中国で逸文となっていた古典籍を収集し、帰国後にそれをまとめ「日本訪書志」を書き上げました。
欧陽詢の書風を受け継いだ書家としても知られており、晩年は書を売って生計を立てていました。
来日中に日本の能書家・日下部鳴鶴や中林梧竹などとも親交があり、自身が修得した書法を伝え、日本の書道界に大きな影響を与えたと共に、新風を吹き込みました。