中国・浙江省桐郷出身の陶芸家、茶壺作家で、字(あざな)は二泉で号を大鹏といいます。
江蘇省の有名な紫砂陶芸家を手本に紫砂を独学で学び、一見すると素朴に見える楊彭年の作品ですが、全てが精巧に制作されており、上品さが滲み出ているのが特徴です。
妹・楊鳳年と弟・楊宝年とともに曼生壺を作っていた楊三兄弟の一人として知られています。
ちなみに茶壺とは中国茶器の一つで、日本で言う急須の役割を持つ道具で、実用性はもちろん、芸術性、美術性を兼ね備えたものとして世界中にコレクターが存在します。
清代中期に活躍した楊彭年は、陳鴻寿(陳曼生)がシンプルな文人趣味の茶壺をプロデュースした18種類の茶壺「曼生壺」の制作を陳鴻寿から直接依頼され、作り続けてきました。
ちなみに曼生壺は陳鴻寿がデザインしたものではありますが、陳鴻寿自身が作陶する事はなく、現存する曼生壺のほとんどが楊彭年とその弟・妹が制作しています。
曼生壺というものがなかったら宜興の今は無かったともいわれており、とても重要な役割を果たしました。
楊彭年は茶壺制作以外にも書画も好んでおり、茶壺作りにも伝統的な技法や形に書画を織り交ぜ新しい風格を確立している事も大きな功績とされており、後世に大きな影響を与えました。
気の向くままに制作を続けた楊彭年は55歳という若さでこの世を去っていますが、実に多くの作品を残しました。