藤林徳扇は京都の宮家はもとより、宮内庁御用達の錦の御旗の織り匠として1680年に創業した老舗の当主が代々受け継いでいる名跡です。
琳派の祖とされている本阿弥光悦が開設した「光悦村」があるのが京都・鷹ヶ峰で、藤林徳扇はこの地で当時の王朝趣味に代表される優美さや高尚さを兼ね備えた帯、着物を創作してきました。
その中でも12代目は芸術界のノーベル賞と表現されるユネスコ・パリ本部認定のグリーティングアーティストとして日本人で唯一、選出された人物として知られています。
世界平和を願い、世界各地の美術館や大使館などに作品が寄贈されており、生地やキャンバスには時が経っても変色しないように金やプラチナの糸を使用し、縫製をパウダー状にした上で絵具として使用しています。
また、世界平和を願った作品も手掛けており、原爆投下により被爆地となってしまった広島の姿を目の当たりにしてから、10年かけて制作した作品は広島市へと寄贈されています。
12代目が手掛ける作品は藤林徳扇ブランドとして確立しており、藤林徳扇そのものと言っても過言ではありません。
「徳扇コスモ・アート」と呼ばれる絵画は世界中の著名人たちから高く支持され、世界のトップアーティストとして認められています。
重要無形文化財の認定も打診されていましたが、藤林徳扇本人は自由に創作活動ができなくなると考え、重要無形文化財の認定は受けなかったそうです。