長野県出身の染織作家です。
生家は3代続く機屋で父親は民藝運動に関わりを持っており、民藝運動の創始者・柳宗悦の甥で染色界の大家・柳悦博が本郷家に立ち寄る事も多く、その影響で織を芸術として育ちました。
そのため、柳悦博を師と仰いでおりますが、実際に手ほどきを受けたわけではなく、染織物の見本などを見られ構造や美的感覚を養っていきました。
しかし、10代から20代前半までは映画という映像の世界で様々なものを捉え、更に美的感覚などを養っていきました。
こうして感性が研ぎ澄まされた25歳の時に実家へ戻り、父親の手伝いをきっかけに染色の世界に入りました。
本郷孝文は「着物は着る事によって用を成す」と考えており、仕立ておろしの着物でも袖を通したその時から着用した人の体に馴染むように織り上げる事を追求しており、その結果、糸の撚りの回数を通常の210回よりも減らした130回にする事で風合い良く仕上げる事に成功します。
また、草木の色を濁らせない事をモットーとしており、自然界の色を大切にしながら染材そのままの色を用いるのではなく、自分の納得できる色を作り上げる事も大切にしています。
こうして本郷孝文は「吉野織」「ロートン織」「綾織」「花織」など様々な種類の織物を織り上げる染色作家として、多くの作品を手掛けており、個展も開催するなど精力的に活動を続けています。