広島県福山市、新市~福山市、芦田町で製造されている絣。
久留米絣、伊予絣と共に日本三大絣の一つとされる。
その発展に貢献したといわれているのは富田久三郎である。
当時、織物は女性の仕事だったが、自ら機織りを習ったという。
久三郎が男性織り手の先駆者だったといえるかもしれない。
文久元年頃には生産を上げるために輸入糸を使い、
明治時代に入ると機械化を推進した。
加えて、模様に工夫を凝らして種類を増やす。
それによって今まで絵柄を着る機会の少なかった
農山村の女性たちに愛好されて生産量を伸ばした。
しかしその後は急速な洋装化によって絣の需要が激減してしまった。
浴衣などの多様化も試みたが、作業着用の生地であり、
西陣のような高級化による差別化は困難であった。
全盛期には200社あまりだったが現在は2社のみの少量生産となっている。