紫根・茜染め伝承者で重要無形文化財に指定されている。
1887年秋田県に生まれる。
曽祖父は盛岡藩士であったが、
その一族の中から「秋田谷」という店舗を開き、
長く紫根染を家業のひとつとしてきた。
だが、明治維新に一時休止してしまう。
父の死去により家業の呉服商を継承するが、
古来の名産を超えるものを憂い、古代紫根染の復興に着手し
工場を再建、染色事業を開始した。
その後、東京三越にて好評を博すが、
化学染料の進歩によって事業を縮小し、
郷土の後援で小規模に製作を維持してきた。
伊勢神宮遷宮式では御用染物の名を受け
製作に尽力した。
1944年には努力の成果が認められ、
商工大臣より「技術保存資格者」の認定を受ける。
また文化財保護委員会より、
助成の措置を講ずべき無形文化財の指定をうけた。