沖縄県出身の昭和~平成時代に活躍する日本の染織家です。
琉球美絣という真栄城興茂の父親である真栄城興盛によって生み出された真栄城家の絣の事で、沖縄で受け継がれてきた琉球絣とは一線を画するものとされています。
琉球美絣は琉球藍やフクギ、ヤマモモなど植物染料の優しい色合いが織りなす絣模様やグラデーションの縞、無地の空間を生かすために組み合わせた経絣が特徴です。
真栄城興茂は父親を早くに亡くしており、真栄城興茂が受け継ぐまでは母親が家業を守り続けてきました。
真栄城興茂が家業を継ぐ決心をしたのは大学に在学中の頃で、その大きな理由は、沖縄の本土復帰後に粗悪な藍絣が出回り、「本物を伝えていくためには自分が作るしかない」と思うようになったからでした。
こうして父親とは違う、真栄城興茂独自の琉球美絣を目指して沖縄伝統の絣柄を研究し、そこから独自の感性を織り交ぜ、遊び過ぎない品格のある絣模様を追求していきます。
最終的には自分の手で琉球藍を建てたいと思うようになり、琉球藍の産地である本部町伊豆味に居を構え泥藍づくりにも励みました。
真栄城興茂の作品にも大きく関係してくる琉球藍の染物の歴史は4、500年ほど前にさかのぼります。
まず、原料の糸芭蕉が多いことから芭蕉布が生産され、王族から一般庶民に至るまで衣料として用いられ、それを染めたのが琉球藍で木綿、絹なども染められるようになっていきました。
精巧なものは中国の貢納品となっており、この事から藍は庶民でも貴族階級でも似合う色と捉え真栄城興茂は制作活動を続けています。