初世 清元寿兵衛は、清元節三味線方の名跡。
二世 清元 寿兵衛は明治中期~昭和中期に活躍した清元節三味線方です。
正字体は、壽兵衞、本名は、松原清一。
二世 清元 寿兵衛は清元流初代家元であり、重要無形文化財保持者(人間国宝)です。また、文化功労者・日本芸術院会員、従四位勲三等瑞宝章を受けています。
二世 清元 寿兵衛は、五世清元延寿太夫の相三味線として活躍し、のちに清元流を創流し家元となります。 演奏だけでなく、作曲の才にも優れ、現在でも多くの遺作が上演されています。
二世 清元 寿兵衛が初代家元である清元流は、「宗家高輪会」と、「清元流」の2つの流派に別れて発展してきましたが、2011年に「清元協会」が再び両派合同で運営されるという協会設立時の形に戻り、より一層の清元の発展を目指し現在に至っています。
二世 清元 寿兵衛は座談の名手として知られ、どこの会合でも輪の中心となって座を盛り上げ、豪快な性格だったといわれています。また大変な愛妻家でありながら艶聞家としても知られます。
二世 清元寿兵衛には実子は無く、養女静江に門弟の婿に取らせ、そこに生まれた子どもを清元梅吉(四世)としたことにより、清元の純粋な血縁は寿兵衛で絶えたことになります。
1989年 東京府神田白金町で生誕。
1905年 二世清元梅三郎を襲名し、初舞台。
1911年 父二世梅吉死去。三世梅吉を襲名。
1912年 三味線立格に昇進。柳橋の名妓だった、妻なつと結婚。
1923年 五世延寿太夫と不和。清元流新組合(清元流)を創立する。
1950年 日本芸術院会員となる。
1955年 梅吉の名を孫の松原清之介(現清元梅吉 (四世))に譲り、自身は二世寿 兵衛を襲名する。
1956年 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。
1962年 文化功労者となる。
1965年 勲三等瑞宝章。
1966年 永眠。