三浦琴童(本名 純一)は明治~昭和時代前期の尺八奏者で、琴古流尺八の明治期に於ける中興の功労者といわれています。
明治8年東京都神田区にて帝大第二病院長の長男として誕生し、幼少より病弱だったため家業の医師を継がず、18歳より尺八を吹き始めます。
21歳で初代荒木古童(竹翁)に師事し、東海銀行に勤務しながら、素人尺八家として活動します。のちに門人に請われて職を辞し、尺八の専門家となりました。また、同じ門下の上原六四郎に点符式楽譜を学び、琴古流本曲の採譜にも努めます。
三浦琴童は竹翁直伝の琴古流本曲と、卓越した製管技術で名声を博し、昭和3年には琴古流尺八本曲の基本的な形をまとめた「三浦琴童譜」を出版し、現在でもスタンダードとなっています。
三浦琴童は製管師でもあり、師の尺八は琴童管と呼ばれています。当時から琴童管は珍重されており、今でも琴童管は憧れの尺八となっています。
琴童管の焼印は2種類あるとされ、瓢箪琴童といわれるものと、四角の琴童があるそうです。瓢箪琴童の方が普及管で、後者の四角い焼印の方がレベルが高いと言われています。
琴童管は、当たり外れが少ないとされ、当時には非常に安定した製管技術が確立されていたと推測されています。
三浦琴童は大正元年から琴古会を主宰、昭和15年3月66歳で没。門人に水野呂童などがいます。