平良昌則は沖縄三線名工として知られます。
出身は沖縄県山原(ヤンバル)。
故 平良昌則は、大工棟梁から船頭、そして三線職人というキャリアを持つそうです。
沖縄県那覇市小禄に平良三線工作所を設け、小禄の名工「平良」として名声を得ていました。
三線には型(棹の形)には真壁、南風原、与那城などがありますが、特に平良昌則は真壁型、与那城型を得意とし、氏によって製作された三線は非常に優美で、他に類をみないといわれています。
氏よる天と鳩胸の広がりのあるつくりは、華の開いたようであると表現され、愛好家を魅了しました。
また、平良昌則によって施された塗りは、沖縄ではもはや氏のような塗りができる職人はいないとまで言われています。
平良昌則の御子息も親譲りの良い三線打ちであったどうですが、残念なことに、黒木の粉を日常的に吸ったことにより肺疾患を患い、若くして亡くなられたそうです。