【玉川宣夫】人間国宝・重要無形文化財保持者の買取作家・取扱い一覧

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玉川宣夫

玉川宣夫
玉川宣夫(1942年~)

新潟県に生まれた玉川宣夫は、13歳で鎚起銅器の制作を行っている歴史ある玉川堂へ養子に入ります。

工芸学校を卒業後は、玉川堂へ正式に入社し家業の手伝いを始めます。

高校卒業後、人間国宝となった関谷四郎の作品の心打たれ、内弟子として技術を学ぶため東京へ上京しました。

上京から2年後に帰郷、玉川堂に再入社し、関谷四郎から学んだ技術を生かして作品制作に励みます。

玉川堂に再入社した後は、自身も作品制作を進め県の展覧会や現代工芸新潟会展など様々な展覧会に作品を出品し、27歳では第9回日本伝統工芸新作展に出品した作品が初入選を果たしました。

しかし、入選したものの肝心の入賞には及ばず、玉川宣夫は苦しい時期を過ごすのです。

そんな中、木目金(もくめがね)という技法に目をつけます。

木目金(もくめがね)は、作品制作に時間がかかり、当時制作する金工家が少なかったのですが、そこに目をつけた玉川宣夫は独自に木目金(もくめがね)を研究し、自身の技術として習得しました。

その結果、今まで入賞してこなかった玉川宣夫の作品とは別次元の品物へと完成し、1982年、第29回日本伝統工芸展に出品し、初めてNHK会長賞を受賞、その後文化庁へ納入となります。

その後54歳で玉川堂を退職し独立、作品制作を継続しながら展覧会の開催も行い、60歳では正倉院宝物の「銀薫炉」の復元に成功させるなど功績を残しました。

正倉院宝物の「銀薫炉」の復元に成功した同年に紫綬褒章を授章し、2010年には鍛金の人間国宝に認定されるなど功績を残します。

2012年には旭日章綬章を授章し、また、木目金(もくめがね)と呼ばれる技法を独自に研究し自身の技術に加え、素晴らしい作品を現在も作り続けています。



木目金(もくめがね)


玉川宣夫が得意とするこの技法は、約400年前の江戸時代初期に生まれ、当時金工家として活躍していた正阿弥伝兵衛という人物が考案しました。

正阿弥伝兵衛は、中国で作られた漆芸技法の倶利彫り(グリ彫り)を金工に使用する技法を考案し、その技術を元に鍔を制作します。

その後、倶利彫り(グリ彫り)技術を発展させて、現在の木目金(もくめがね)

という技法を考案しました。

正阿弥伝兵衛が制作した作品では、金銀地杢目鍛という名の小柄が日本最古の木目金(もくめがね)として記録されています。

江戸時代後期になると木目金(もくめがね)の技術は広まりを見せ、多くの金工家が制作を行い、上流武士の刀装具や喫煙具・茶道具に使用されるなど全国に広まりました。

ですが、明治に発令された廃刀令により大礼服着用の時および軍人・警察官の制服着用の時以外の刀の所有が禁じられ、刀と共に木目金(もくめがね)も衰退の一途を辿っていきます。

時代が流れ、木目金(もくめがね)の復活を目指し金工家達が制作に取り掛かりましたが、技術が後世に伝わる事はなく無くなりかけていた時、玉川宣夫が加わった事で木目金(もくめがね)が再び日の目を浴びることとなりました。



木目金(もくめがね)の制作


木目金(もくめがね)の制作には、多くの時間と労力・精神力を要します。

銅や銀・赤胴など異なる金属を20枚~30枚程積み重ね加熱し接着させ厚みのあるブロック状の物金槌で叩き平らにしていきます。

途中鏨(たがね)で表面を削りながら下地の金属の色を出して、模様を決めながら金槌で叩き伸ばしていき、形を形成します。

木目金(もくめがね)は、細部における工程が複雑で彫金と鍛金の両方の基礎技術を持ち合わせていないと作れない作品です。

また、金属を重ね加熱して癒着する際も、様々な性質を持った金属を一緒に熱する為熱の伝わり方も異なり、あまり高温で加熱してしまうと中の金属が完全に溶けて木目が出せなくなってしまう為、加熱の工程からとても神経を使うのです。

そして木目金(もくめがね)最大の工程と言っても過言ではない叩き伸ばす作業ですが、何万回と叩く為とても気が遠くなる作業で、強靭な体力、精神力、集中力が求められます。

1つの作品を作るのに多くの時間を費やしますが、そこを乗り越えた先には美しい作品が待っているのです。

玉川宣夫も「鍛は千日、錬は万日」という座右の銘を心に持ちながら、今日も作品制作の日々を送っています。

玉川宣夫年表

1942年 新潟県に生まれます

1955年 鎚起銅器の制作を行っている玉川堂へ養子に入ります

1959年 秋田市立工芸学校を卒業します
               玉川堂へ入社し、家業に従事します

1961年 三条実業高校を卒業します

1963年 東京へ上京後、鍛金で人間国宝となった関谷四郎に内弟子として学びます

1965年 秋田へ帰郷後、玉川堂へ再入社し、常務・専務として父・兄と共に働きます

1967年 帰郷後から数年後、県展・現代工芸新潟会展へ作品を出品します

1969年 第9回日本伝統工芸新作展に作品を出品し初入選を果たします
               第16回日本伝統工芸展に作品を出品して初入選を果たします

1982年 第29回日本伝統工芸展に作品を出品しNHK会長賞を受賞し
               作品は文化庁へ納入します

1983年 伝統工芸30年の歩み"に選抜集録されます

1986年 第33回日本伝統工芸展に出品した作品が東京都知事賞を受賞します

1987年 第34回日本伝統工芸展の鑑査委員に選ばれます

1991年 北欧巡回"伝統工芸名品展に選抜されます

1993年 伝統工芸40年の歩み"に選抜集録されます

1996年 玉川堂を退社し、製作活動に専念します

1997年 県央サティーにて作品展「鎚打つ息吹を…」を開催します

1998年 新潟伊勢丹にて作品展「色金にまみれて…」を開催します

2000年 燕ギャラリー展にて作品展を開催します
               作品展「ほほえんで鎚を打てれば…」を開催します

2002年 正倉院宝物「銀薫炉」を復元させます

            紫綬褒章を授章します

2003年 燕市産業史料館にて作品展「鍛金 色金 木目金」を開催します

2004年 新潟伊勢丹にて作品展「厚金 色金 木目金」を開催します

2005年 燕市「ネットミュージアム産業史料館」上で作品を紹介されます

               伝統文化ポーラ賞で「優秀賞」を受賞します

2010年 鍛金の人間国宝に認定されます
               燕市名誉市民の称号を頂きます
               燕市産業史料館にて作品展「回帰・薬罐屋の頃…」を開催します

               新潟日報文化賞を受賞します

2012年 旭日章綬章を授章します


玉川宣夫代表作

木目花瓶

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