【天田昭次】人間国宝・重要無形文化財保持者の買取作家・取扱い一覧

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買取品目一覧

天田昭次

天田昭次
天田昭次(1927年~2013)

天田昭次『日本刀』人間国宝 重要無形文化財保持者

日本刀の製作に必要不可欠な玉鋼(たまはがね)を使用せず、自家製鉄で研究を重ねた鋼で鎌倉時代の名刀を再現した刀匠です。

秋篠宮家 悠仁親王の御守り刀を制作したことでも知られています。


 天田昭次

天田昭次は1927年に新潟県で生まれ、9歳の時に刀匠であった父親が亡くなっています。
父親の三回忌の墓参りに来てくれた栗原彦三郎の誘いを受け、小学校卒業後は上京し書生として仕える傍ら日本刀鍛冶伝習所に通っていたそうです。
1945年の敗戦を境に日本刀の制作が禁止されましたが、1952年に栗原彦三郎が政府に許可を得たことから天田昭次も再び制作に関わるようになります。
兄弟子の宮入昭平の助手などをこなし、1955年28歳で第一回作刀技術発表会に出品し優秀賞を獲得しました。
1957年と1958年にも優秀賞に選ばれ若く才能のある刀匠に周囲は喜びますが、自分の理想とする鎌倉末期の古名刀に及ばず悩みます。
古刀に見られる地鉄の変化や深みを再現するには、玉鋼を使用するのではなく当時と同じ鉄を作り出すしかない、と鉄作りを思い立ちました。
全く異なる作業である鍛冶と製鉄の両方をこなし無理を重ね、結果大病を患い8年間刀作りから離れることとなります。


41歳で再開にあたり刀作りに適した土地を厳選し、新潟県新発田市の月岡温泉の外れの雑木林に拠点を構え、ここでは木材や伏流水など作刀に必要な物が周囲1km以内で手に入りました。
とことん拘る性格で、鍛冶炭まで自分で作っていた時期もあったそうです。
金属学の論文を読み、大鍛冶屋に教えを請い、出来た鉄を様々な組み合わせで鍛刀し試行錯誤しました。
そして刀匠の最高峰である正宗賞を3回受賞します。


1997年に人間国宝に認定、元々寡作でしたが作品数は更に限定され、益々研究に力を入れていたそうです。
2013年85歳で惜しまれながら逝去しました。


 正宗賞3回受賞

正宗賞は究極の刀にのみ与えられる賞であり該当者なしの年が多く、平成の30年間で獲得したのは僅か3人のみです。
天田昭次の他に隅谷正峯、大隅俊平が正宗賞を3回受賞していますが、天田昭次の凄い所は3回共に全く違う作風であり、一作目は山城伝、二作目は相州伝、三作目は備前伝となっています。


山城伝は平安時代末期から京都で発展した作風であり、細身で反りが高く気品のある作品が多いです。
天田昭次による山城伝の太刀は奥出雲の真砂砂鉄を低温で丹念に抽出し、不純物を取り除き炭素量を調節した素材を使用しています。
刃文はまっすぐの直刃(すぐは)であり、格調高く典型的な山城伝の太刀です。


相州伝は神奈川で鎌倉時代末期から始まり、正宗が完成させています。
硬軟の鋼を組み合わせ木目のようなストライプ模様の板目肌に、緩やかな波型の湾れ(のたれ)と呼ばれる刃文が美しく、力強い作風です。
天田昭次が制作した刀は、自作の銑(純度の低い鉄)を素材とし奥出雲に伝わった精錬法により鋼にしています。
大板目肌で沸が深い乱刃となっています。鎌倉時代末期の太刀を削って刀にした姿をイメージして制作されており、迫力のある刀となっています。


備前伝は岡山で平安末期に始まり、細身の優美な太刀に華やかな丁子乱が特徴です。
天田昭次による備前伝の太刀は、こちらも自作の銑を自分で精錬した鋼に丁子乱、地肌と刃文の境目に現れる匂が深く現れている重厚な太刀です。


 皇族の守り刀制作

皇族は生まれた当日又は翌日に『賜剣の儀』が行われ、天皇から守り刀が贈られます。
この守り刀を制作するのは当代随一の刀匠であり、非常に名誉なことです。


近年では秋篠宮家の眞子様、佳子様のご誕生の際と雅子様のご成婚の際の守り刀を隅谷正峯が制作し、愛子様は大隅俊平、秋篠宮家 悠仁様は天田昭次が担当しています。
いずれも人間国宝で正宗賞3回受賞の刀匠です。


 伊勢神宮式年遷宮 御神宝太刀

伊勢神宮は20年ごとに作り変えられており、社殿だけではなく神々に捧げる宝物類714種、その内60振ある御太刀も全て新調されます。
一つの御太刀には鞘や柄などの刀装具などを合わせると様々な分野の第一人者が30名以上関わった伝統技術の集大成であり、その中でも刀身は要です。


天田昭次は1回目は助手として、その後3回は刀匠として合計4回の遷宮に関わりました。
4回目は御太刀の代表格である玉纏御太刀と須賀利御太刀を担当し、遷宮の数ヶ月前に亡くなっています。

天田昭次年表

1927年 刀匠・天田貞吉の長男(本名: 誠一)として新潟県の本田村で誕生
1937年 父死去
1939年 日本刀鍛錬伝習所長の栗原彦三郎が父の三回忌に訪問
1940年 小学校卒業と同時に上京し日本刀鍛錬伝習所に入門し7年間修行
1952年 作刀第1号として日米講和条約記念刀を製作、第59回 伊勢神宮式年遷宮御神宝太刀制作に宮入昭平の助手として参加
1955年 第1回作刀技術発表会 優秀賞
1957年 第3回作刀技術発表会 優秀賞
1958年 第4回作刀技術発表会 優秀賞
1959年 現状の作刀に疑問を感じ、自家製鉄の本格的な研究開始
1960年 闘病生活開始
1968年 病気が回復し新潟県新発田市に自宅及び鍛刀所を移転
1973年 第60回 伊勢神宮式年遷宮御神宝太刀 制作
1974年 新横綱 北の湖 土俵入りの太刀 制作
1977年 新作名刀展 正宗賞
1978年 新潟県無形文化財及び豊浦町無形文化財に指定
1985年 新作名刀展 正宗賞
1990年 全日本刀匠会理事長 就任
1992年 第61回 伊勢神宮式年遷宮御神宝太刀 制作
1996年 新作名刀展 正宗賞
1997年 国の重要無形文化財保持者(人間国宝) 認定
1999年 薫四等旭日小綬賞 受賞
2003年 新発田市名誉市民
2006年 秋篠宮家 悠仁親王の守り刀 制作
2013年 第62回 伊勢神宮式年遷宮御神宝太刀 制作、遷宮前に逝去 享年85歳

天田昭次代表作

●太刀 表銘・為中田敏之氏 天田昭次作之 裏銘・昭和丁巳五捨二年正月吉日 (1977年)
山城伝、最初の正宗賞受賞作

●刀 表銘・天田昭次作之 裏銘・昭和六十年仲春吉日 (1985年)
相州伝、2回目の正宗賞受賞作

●太刀 表銘・天田昭次作之 裏銘・平成八年皐月吉日 (1996年)
備前伝、3回目の正宗賞受賞作

●秋篠宮家 悠仁親王の守り刀 (2006年)

●玉纏御太刀、須賀利御太刀 (2013年)
第62回 伊勢神宮式年遷宮 御神宝太刀

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