奥山峰石は山形県出身の昭和後期~平成時代に活躍する鍛金(たんきん)家です。
重要無形文化財「鍛金」保持者となった事や従来の鍛金よりも複雑なデザインを施す事でも知られています。
奥山峰石が生業としている鍛金(たんきん)とは、金属を金床や鳥口などにあて、金槌で打ちながら成形していく技法で打ち物・鎚金(ついきん)・鍛冶(かじ)といわれることもあります。
奥山峰石は山形県新庄市に生まれ、15歳の時に親元を離れ上京し60年以上鍛金の世界に身を投じました。
元々は芸能界への憧れから上京したようですが、生計を立てるという現実があり、銀器を作る職人に師事したことが転機となったようです。
20歳の頃に職を辞めようかと迷った時に「一代一職」という言葉が目に留まると、なぜかこの仕事をずっとやっていくという覚悟を決め、それから数十年「職人」として制作を行い、40歳の時に作家の道へと進んでいます。
初期の作風は幾何学的模様が多く見られましたが、現在では桜などの自然物を題材にした作品などを生んでおり、鍛金界では先駆者ともいわれています。
鍛金の歴史は紀元前4000年より古く、メソポタミア文明や古代エジプト文明にさかのぼる事で歴史を見る事が出来、当時は金・銀・銅などを加工し装飾品などを作っていました。
日本へは弥生時代に大陸の金属文化が伝わり、鉄剣・甲冑・銅鏡などが作られ、古墳時代には馬具・副葬品などに鍛金の歴史が見る事ができます。
飛鳥時代以降の仏教美術品や奈良時代の大仏などの制作に用いられ、この時に鋳造技術・鍍金法が確立されたといわれています。
平安時代以降からは時代背景を感じる事の出来る武器・武具・茶道具・湯釜・仏教用具などが製作され、江戸時代以降は一般大衆の日用品にまで広がりました。
明治時代に入ると新しい生活様式に合わせた日用品の制作の他にも博覧会などへの出品も増え、鍛金の歴史は大きく広がり、現在では職人や作家が腕を振るい工芸技術の1つとして確立されています。