秋田県出身の昭和~平成時代に活躍した日本の鍛金家です。
鍛金とは金属を金槌などで打つ事で形を作っていく技法の事で、別名「鎚金」や「鍛冶」とも呼ばれています。
関谷四郎はその鍛金の伝統技術をベースに「接合せ(つぎあわせ)」や「打出」の技法を駆使してシンプルな造形の中に高度な技を施す独自の表現を確立した事で、重要無形文化財「鍛金」の保持者に認定されています。
幼い頃に父親を失い、大病によって足が不自由になるなど苦労を重ね育った関谷四郎は秋田市内の森金銀細工工店で秋田の伝統工芸である銀線細工を学びました。
そんなある日、秋田県主催の鍛金講習会が開かれ、そこに呼ばれた東京の鍛金家・河内宗明と出会い、内弟子となります。
独立してからは東京の本郷団子坂に工房を構え、彫金による表面加工を行わず鍛金のみで豊かな質感を生み出す事を研究し、異種の細い板金をろうで溶接する接着技法で金属を結合させる「接合せ」の技法を用いた作品を発表し、様々な美術展に出品を重ねていきました。
その中でも日本伝統工芸展では数多くの出品、受賞を重ね、審査員をつとめるまでとなります。
金工作家グループ東京関友会、秋田関友会を設立して後進の育成にも尽力した功績は大きく、日本金工界に大きな業績を残しました。
1907年 秋田県で生まれる
1928年 上京し、鍛金家・河内宗明に師事する
1962年 日本伝統工芸展で初入選となる
1968年 日本伝統工芸展で日本工芸会総裁賞を受賞する
1973年 日本伝統工芸展で20周年記念特別賞を受賞する
1974年 紫綬褒章を受章する
1977年 国指定重要無形文化財「鍛金」保持者に認定される
1994年 肺炎のため逝去
『はぎ合せ花器』
『縦線接合壷』
『銅鉄接合花挿』
『銀打出花瓶』
『銅鉄接合水滴』
『赤銅・銀・銅接合皿』
『黒銅花器』