958年(天徳2年)に日本で造られた銭貨で、皇朝十二銭のひとつです。
日本で通貨として12番目に造られた銭貨で、朝廷発行の最後の貨幣です。
品質は悪く、鉛が75%以上含まれるもので、乾元大宝1枚に対し旧銭10枚の交換比率が適用されていました。
伊勢神宮を含む他11社に乾元大宝を奉納して流通を祈願した記録が残されていますが、流通範囲は狭かったようです。
708年(和銅元年)から963年(応和3年)にかけて新貨幣が造られる度にデノミネーションを繰り返した結果、銭の信用度と価値が下がり、結果的に米や絹などの物々交換へと移行していき、朝廷の弱体化にともなって、使用されなくなり、新しい銅銭は発行されなくなりました。