東京出身の昭和~平成時代に活躍した洋画家です。
東京で炭問屋を営む家の三男として生まれました。
築地の居留区の近くに住んでおり、下町でありながらモダンな雰囲気に影響され、少年期の頃からダ・ヴィンチやデューラーなど西洋名画を模写するなど絵画に高い関心を持ち洋画家になる事を決意しました。
小林萬吾の設立した同舟舎洋画研究所にて本格的にデッサンを学び、太平洋画学校に入学しますが、中退し、個人活動を始めます。
寺田政明らとエコール・ド・東京を結成しますが、突如、ヨーロッパへ渡り、フランス、ベルギー、イタリア各地をまわる旅をました。
第二次世界大戦の為、帰国し、アトリエを構えて美術文化協会を結成し、さらに新人画会を結成して日本で活動を再開します。
戦況が厳しくなり、軍による抑圧の中、作品を発表し続け、ついに召集を受け入営する事になりました。
しかし、虚弱体質だった為、兵役不適合とされ戦地より帰されますが、空襲の為、アトリエと作品を焼失し、活動困難となってしまいました。
戦後はアトリエを新しく構え、戦後復興に尽力し、武蔵野美術学校で教鞭をとり、後進の育成に励みました。
戦中の困難な時代から一貫して人間と人間のいる社会を見つめ、時に押しつぶされそうになりながらも、自らの存在を確固として主張する人間たちの姿を描き続け、晩年は幼少期を過ごした隅田川界隈の素描作品を多く残しました。