京都出身の日本画家です。
花鳥画の第一人者・上村松篁の長男として生まれました。
また、祖母は美人画家・上村松園です。
本名は淳といいます。
中学、高校時代はラグビー一筋で、卒業後も東京大学工学部を目指して上京し、親戚の家で下宿しながら浪人生活を送りましたが、色鮮やかな絵の書物に囲まれていた実家が恋しくなり、京都に戻り、画家を志すことを決意しますが両親に反対され、仕方なく一人で受験の準備をし、京都市立美術大学に入学しましたが、反対を押し切って入学した為、母親は口も聞いてくれなくなったそうです。
卒業後は同校日本画科助手を務める傍らで制作活動を行い新制作協会、作画会で活躍し、日本画壇を代表する作家となりました。
親子三代続いての芸術院会員で松園、松篁、淳之三代の作品を展示する松伯美術館の館長も務めています。
父親と同じく花鳥画の第一人者で、花鳥画を選んだ理由として、西洋にはない分野で、自然の中に身を置き、導かれたことを具現化することが出来、この独特の文化を究めれば、日本文化の本質に迫ることができるのではないかと考えていて、元々、鳥や花が好きだったのもあるそうです。
そんな上村は、画家を志すようになってから住み始めた、上村松園が晩年を過ごした空家でさみしさを紛らわす為に飼い始めた鳥はおよそ60年たった今では約230種、1500羽になり、シギの人工孵化にも成功するなど、鳥類研究の専門家からも注目されており、NPO法人「花鳥の郷(さと)をつくる会」を設立し、地域住民と共に子供たちが自然と触れ合える里山を作る計画を進めています。