東京出身の大正~昭和時代前期に活躍した日本画家です。
本名は平次郎といいます。
画家になることを志し、京都の小村大雲に半年ほど師事し、川端画学校に通い、画技を磨きました。
当初は再興院展を中心に出品を重ねていましたが、帝展への出品を始め、六曲一双『エバ』が出世作となりました。
しかし、伝統と格式のある展覧会では自分の自由なひょうげんができないとして、川端龍子の主宰する青龍社展に活躍の場を移しますが、長くは所属しませんでした。
脱会してからは明朗美術連盟を創立し、独自に洋画(外光派)の技法を研究して伝統的な日本画の世界観に取り入れるなど新しい日本画を創り出した新感覚はの画家であり、急性肋膜炎の為、42歳の若さで亡くなってしまい、現在、市場においても稀にしか出回らず、比較的高い評価額にて取引される作家の一人です。
また、『貧しきものは幸いなり』は敬虔なクリスチャンであった朗風の一面がうかがえる作品だといわれています。