19世紀に活躍したベルギー・ディナン出身の画家、彫刻家です。
ベルギー象徴派の先駆者といわれており、アントワーヌ・ウィールツとも呼ばれています。
仕立て屋を営む家庭に生まれ、幼い頃からデッサンや彫刻に興味を持っていたアントワーヌ・ヴィールツは、父親の友人で芸術愛好家のポール・メーブにデッサンを教わりました。
その後、アントウェルペンの美術アカデミーで学び、様々な人の支援を受け、画家としての才能を開花していきました。
イタリアへ遊学した際は、ラファエロやミケランジェロを研究し、当時メディチ家別荘のアカデミー・ド・フランスの院長を務めていたドミヌク・アングルと交流しています。
そんなアントワーヌ・ヴィールツの噂を聞いたフランスから独立したばかりのベルギー政府は、政策の一つとしてヴィールツをベルギーの顔として後援するようになり、数々の大作の制作依頼を出します。
アントワーヌ・ヴィールツはその依頼を受けるに当たり、神殿のようなアトリエを建設する事を条件に引き受け、現在ではこのアトリエは国立ヴィールツ美術館となり、アントワーヌ・ヴィールツの作品が展示され、見る事ができます。
アントワーヌ・ヴィールツはつや消しペイント法を化学的に発見し、そのペイント法を用いて神話などを題材に、ルーベンス風の大画面の作品を制作する一方、死や狂気を描いた超現実的で幻想的な作品を残し、その不思議な世界に魅了されたファンも多く存在しています。
また、アントワーヌ・ヴィールツはプライドが高く、自らをミケランジェロ以上の画家と信じていたそうです。