本名はドミニコス・テオトコプーロスといい、現在のギリシャ領クレタ島、イラクリオン出身のマニエリスム後期の巨匠として知られています。
エル・グレコとは通称で、「ギリシャ人」を意味する「グレコ」とスペイン語の男性定冠詞「エル」を組み合わせたものです。
そのため、エル・グレコの作品は本名のギリシャ語でサインをしています。
また、スペインで活躍していた事からスペイン三大画家としてディエゴ・ベラスケス、フランシスコ・デ・ゴヤと並び称されています。
ヴェネツィア共和国の支配下にあったクレタ島で生まれたエル・グレコはオスマン・トルコによって歴史に終止符を打ったビザンティン帝国時代の美術の影響を受けて育っており、後期のビザンティン美術の伝統を継ぐ画家として活動するようになります。
独学でイタリアルネサンス美術を取り入れ、ティツィアーノなどのヴェネツィア派の色彩やミケランジェロの量体表現、パルミジャニーノなどマニエリスムの先駆者の作品から引き伸ばされた人体比率を学んでいます。
画家としての力量は誰もが認めるものでしたが、金銭的なトラブルが絶えず、貧しい暮らしをしていました。
その後、スペインへ渡り宮廷画家を目指しますが、奇抜な構図と非現実的な色彩がフェリペ2世に評価されず、宮廷画家になる夢は叶いませんでした。
しかし、宗教関係者や少数の知的エリートの知識人からの支持は厚く、現存する作品のおよそ8割が宗教画で、残りの2割は肖像画となっています。
エル・グレコは残された作品の数は多いのですが、ピカソたちが再評価するまでは劣悪な環境に置かれていた作品が多く、描かれた当初の状態を保っている作品はとても少ない事で有名です。