20世紀に活躍したフランスの画家で、アンリ・マティスらと共にフォーヴィスム(野獣派)の運動において指導的役割を果たした事で有名です。
しかし、フォーヴィスムの作風で活躍していたのは短期間で、セザンヌに影響を受け、最終的には古典的で伝統的な作風に落ち着きました。
そんなアンドレ・ドランですが、フランスのパリ近郊のシャトゥーで生まれ、父親は食品店を営んでいました。
少年時代から学業に秀でており、父親は理工系に進むようにアドバイスをし、パリの理工学校へ進むための準備をしていましたが、絵画への強い思いを断ち切る事ができず、アカデミー・カミロのカリエール教室に通い、そこでアンリ・マティスと出会いました。
この出会いはアンドレ・ドランがフォーヴィスムを生み出すきっかけとなり、原色を多用した強烈な色彩と激しいタッチの野獣のような絵画を発表し、注目されるようになります。
アンドレ・ドランがフォーヴィスムで活躍をしている頃、セザンヌの回顧展が何度も開かれ、これに影響を受けたアンドレ・ドランの作品に変化が見られるようになり、単純化された形態と構成的な構図が見られるようになります。
周りの画家たちが新しい試みに取り組んでいる中、アンドレ・ドランは伝統的、古典的な絵画へと回帰し、人物、静物など様々な画題と点描や陰影、遠近法などを用いた落ち着いた色彩を手掛けるようになり、その生涯で残した作品は一人の画家が描いたものとは思えないほど多彩な作品が残されています。
また、画家としての活動以外にもセルゲイ・ディアギレフ主宰のバレエ集団「バレエ・リュス」の「風変りな店」の美術と意匠を手掛けた事を最初に、晩年までバレエやオペラの衣装や舞台装飾を手掛け、挿絵や彫刻などの作品も残しています。
このように芸術の世界で活躍したアンドレ・ドランですが、戦時中ではフランスの文化人の代表として占領下のナチスに利用されたため、戦後は戦犯として追放されたり、眼病を患い片目を喪失したりと不運続きでしたが、その不運は最後まで続き、交通事故に遭って命を落としています。