【アンドレ・ドラン】絵画の買取作家・取扱い一覧

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アンドレ・ドラン

アンドレ・ドラン
アンドレ・ドラン(1880~1954)
20世紀に活躍したフランスの画家で、アンリ・マティスらと共にフォーヴィスム(野獣派)の運動において指導的役割を果たした事で有名です。
しかし、フォーヴィスムの作風で活躍していたのは短期間で、セザンヌに影響を受け、最終的には古典的で伝統的な作風に落ち着きました。
 
そんなアンドレ・ドランですが、フランスのパリ近郊のシャトゥーで生まれ、父親は食品店を営んでいました。
少年時代から学業に秀でており、父親は理工系に進むようにアドバイスをし、パリの理工学校へ進むための準備をしていましたが、絵画への強い思いを断ち切る事ができず、アカデミー・カミロのカリエール教室に通い、そこでアンリ・マティスと出会いました。
この出会いはアンドレ・ドランがフォーヴィスムを生み出すきっかけとなり、原色を多用した強烈な色彩と激しいタッチの野獣のような絵画を発表し、注目されるようになります。
アンドレ・ドランがフォーヴィスムで活躍をしている頃、セザンヌの回顧展が何度も開かれ、これに影響を受けたアンドレ・ドランの作品に変化が見られるようになり、単純化された形態と構成的な構図が見られるようになります。
周りの画家たちが新しい試みに取り組んでいる中、アンドレ・ドランは伝統的、古典的な絵画へと回帰し、人物、静物など様々な画題と点描や陰影、遠近法などを用いた落ち着いた色彩を手掛けるようになり、その生涯で残した作品は一人の画家が描いたものとは思えないほど多彩な作品が残されています。
 
また、画家としての活動以外にもセルゲイ・ディアギレフ主宰のバレエ集団「バレエ・リュス」の「風変りな店」の美術と意匠を手掛けた事を最初に、晩年までバレエやオペラの衣装や舞台装飾を手掛け、挿絵や彫刻などの作品も残しています。
このように芸術の世界で活躍したアンドレ・ドランですが、戦時中ではフランスの文化人の代表として占領下のナチスに利用されたため、戦後は戦犯として追放されたり、眼病を患い片目を喪失したりと不運続きでしたが、その不運は最後まで続き、交通事故に遭って命を落としています。

アンドレ・ドラン年表


1880年 フランスで生まれる
1898年 アカデミー・カミロに入学する
1900年 モーリス・ド・ヴラマンクと共同のアトリエを設ける
1901年 従軍する
1904年 復員する
1905年 フランス・コリウールに滞在し、制作活動を行う
その後、ロンドンにも滞在する
1908年 パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックらと交流を持つ
1911年 パリの住居を引き払う
1916年 画商ポール・ギョームによって個展が開かれる
1919年 バレエ・リュスの「風変りな店」の美術衣装を手掛ける
1921年 パリに住む
1935年 シャンブルシーに移住する
1941年 ドイツを訪れる
1954年 交通事故により逝去

1880年 フランスで生まれる

1898年 アカデミー・カミロに入学する

1900年 モーリス・ド・ヴラマンクと共同のアトリエを設ける

1901年 従軍する

1904年 復員する

1905年 フランス・コリウールに滞在し、制作活動を行い、その後ロンドンにも滞在する

1908年 パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックらと交流を持つ

1911年 パリの住居を引き払う

1916年 画商ポール・ギョームによって個展が開かれる

1919年 バレエ・リュスの「風変りな店」の美術衣装を手掛ける

1921年 パリに住む

1935年 シャンブルシーに移住する

1941年 ドイツを訪れる

1954年 交通事故により逝去


アンドレ・ドラン代表作


「テーブル」
「夜の英国国会議事堂」
「アルルカンとピエロ」

『テーブル』

『夜の英国国会議事堂』

『アルルカンとピエロ』


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