19世紀~20世紀のフランスで活躍した画家で、フォーヴィスム(野獣派)として活躍していた事もある画家です。
しかし、その作風は落ち着いた色彩と穏やかなタッチで描かれた郷愁漂う写実的な風景画が多く、原色使いで激しいタッチのフォーヴィスムとは距離を置いたものでした。
また、クロッキーの巧みさから「フランスの北斎」、パリの街や港の風景を描いていた事から「水の画家」とも呼ばれていたそうです。
そんなマルケは鉄道員の息子として生まれ、内気で病弱、勉強を不得意で自然や街の風景を眺めては絵を描く事だけは得意としていました。
その才能に気付いた母親は反対する父親を押しのけ、本格的にマルケに絵を学ばせようと実家の土地を売り払い、マルケを連れてパリに出ました。
こうしてマルケはパリの美術学校で学び、フォーヴィスムを代表する画家となるマティスと出会い、親交を深めます。
マティスと親友であった事からフォーヴィスム運動に参加はしており、フォーヴィスムの手法に忠実だった作品もありますが、マルケの作風が完全に野性的なものとなる事はありませんでした。
マルケの作品には乳白の中間色で描かれたパリの風景画が多く存在しており、これは若い頃に描いた作品に多く見られ、当時は貧乏で高い値段の絵具を買う事ができなかったため、値段の安いグレー系の絵具を買って描いていたからだといわれています。
晩年になって画家として生計を立てられるようになったマルケですが、酒やたばこなど一切やらず、早寝早起きを実行し、生涯、絵の勉強を怠らなかったそうです。
また、名誉や金銭にも興味を示さず、フランス政府から勲章受章の話がありましたが、これを辞退しています。