19世紀~20世紀に活躍したノルウェー出身の画家で、ノルウェーでは国民的な画家として知られ、現行の1000ノルウェー・クローネの紙幣にムンクの肖像が描かれています。
ムンクは表現主義的な作風で知られており、特に有名な作品は「叫び」という精神世界を描きだしたもので、これはムンク自身が体験したものをそのまま表現しており、ムンクが生と死の問題、そして人間存在の根幹に存在する、孤独、嫉妬、不安などを見つめ、人物画に表現した作品の中でも代表作といっても過言ではありません。
また、「叫び」は全部で4点制作されており、ムンク美術館に2点所蔵されているほか、オスロ国立美術館所蔵と個人所蔵のものが1点ずつあることが知られ、盗難事件に遭った事もあるほど有名です。
ムンクの父親は医者で、幼い頃に母親を結核で亡くしており、病弱だったムンクの世話は母親の妹がしてくれました。
また、姉も結核で亡くし、身近に「死」を感じた事がのちに画家となるムンクに大きな影響を与えています。
父親は収入が不安定な画家になる事を反対していましたが、病弱なムンクには手に職をつけて働く事は難しく、最終的には画家になる事を許しました。
こうして画家として学ぶ事が出来たムンクはそれまでの常識を逸脱するような作品を発表するようになり酷評されますが、遠縁の画家、クリスチャニア・ボヘームの仲間でもあったフリッツ・タウロヴの好意的援助を得てパリへ留学する事になります。
しかし、すぐに高い評価を得る事が出来たわけではありませんでしたが、徐々に受け入れられ、画家として成功をおさめます。
その反面、次々と家族を失った事、決して報われない女性関係などによって家庭を持つ事の不安を煽り、ムンクの心を蝕んでいき、精神的に病んでしまいます。
この事は作品にも影響を及ぼし、大胆で強烈な構図、印象的な色彩と陰影の配置、心的描写として飛び込む背景を持つ作品が生まれ、作品から多くの不安を感じ取る事ができます。
精神的不安が大きくなりすぎ、アルコールに溺れる毎日を過ごすようになったムンクはサナトリウムで長い療養生活を送る事となりますが、幼い頃にもそうしたように絵を描く事で心の安定を取戻し、生命感を湛えた明るい色とタッチの作風が増えてきました。
その後はノルウェーに戻り、精神的不安を取り除くのではなく、共存する事で乗り越えられる事に気付き、作品は平穏さを感じるものへと変化していきました。