【岡田三郎助】絵画の買取作家・取扱い一覧

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岡田三郎助

岡田三郎助
岡田三郎助(1896~1939)
佐賀県出身の明治~昭和時代にかけて活躍した日本の洋画家で、その作風は外交派的な作風の風景画と日本的情趣の装飾的女性像が特徴です。
肥前鍋島藩の名家であった石尾家で生まれ、本名は石尾芳三郎といい、19歳で岡田家の養子となった事で岡田姓を名乗るようになります。
 
6歳の時に上京し、旧佐賀藩主の鍋島直大邸内に身を寄せていた経験があり、その時に邸内にあった同郷の百武兼行の作品を見た事で洋画家を志すようになります。
こうして洋画家・曽山幸彦の画塾に入門し、曽山幸彦が亡くなると堀江正章に学びました。
更に画技を磨くため、黒田清輝の天真道場に入門し、黒田清輝の後継者の一人として同時代の藤島武二と共に官展系洋画家の中心的な存在としての力をつけていきました。
また、黒田清輝と共に白馬会の創立に参加し、東京美術学校が新設された際は西洋画科の助教授として迎えられ、西洋画研究のため、第1回文部省留学生としてフランスへ留学しています。
フランス留学の際は黒田清輝の師でもあるラファエル・コランに師事しており、帰国後はラファエル・コランのもとで培われた繊細な筆致と上品な色調の作品を発表しました。
 
東京美術学校では多くの後進を育成し、本郷洋画研究所では三岸節子、長谷川潔らの才能を開花させるなど指導者としても才能を発揮しており、日本の西洋画に大きな影響を与えた人物として知られています。
また、舞台美術・図案・工芸の分野にも活躍を見せており、現在でも高く評価されている洋画家の一人に挙げる事ができます。

岡田三郎助年表


1869年 佐賀県で生まれる
1887年 岡田家の養子となる
洋画家・曽山幸彦の画塾に入門する
1889年 明治美術会会員となる
1892年 大幸館に入学し、堀江正章の指導を受ける
1893年 大幸館規定の科目を卒業する
1894年 久米桂一郎の紹介で黒田清輝に師事し、天真道場に入門する
1896年 白馬会創立に参加する
東京美術学校西洋画科開設に伴い、助教授をつとめる
1897年 第1回 文部省留学生としてフランスに留学し、ラファエル・コランに師事する
1907年 代表作「某婦人の肖像(紫の調)」を発表する
文展審査員をつとめる
1912年 藤島武二と本郷洋画研究所設立する
1930年 文部省より渡欧を命じられる
1934年 帝室技芸員となる
1937年 第1回文化勲章を受章する
帝国芸術院会員となる
1939年 自宅で逝去

1869年 佐賀県で生まれる

1887年 岡田家の養子となる

00000年洋画家・曽山幸彦の画塾に入門する

1889年 明治美術会会員となる

1892年 大幸館に入学し、堀江正章の指導を受ける

1893年 大幸館規定の科目を卒業する

1894年 久米桂一郎の紹介で黒田清輝に師事し、天真道場に入門する

1896年 白馬会創立に参加する

00000年東京美術学校西洋画科開設に伴い、助教授をつとめる

1897年 第1回 文部省留学生としてフランスに留学し、ラファエル・コランに師事する

1907年 代表作「某婦人の肖像(紫の調)」を発表する

00000年文展審査員をつとめる

1912年 藤島武二と本郷洋画研究所設立する

1930年 文部省より渡欧を命じられる

1934年 帝室技芸員となる

1937年 第1回文化勲章を受章する

00000年帝国芸術院会員となる

1939年 自宅で逝去


岡田三郎助代表作

『あやめの衣』

『婦人像』

『セーヌ川上流の景』

『婦人半身像』

『若き娘の顔』


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