【有島生馬】絵画の買取作家・取扱い一覧

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有島生馬

有島生馬
有島生馬(182~1974)
神奈川県出身の日本の洋画家、小説家です。
大蔵省関税局長兼横浜税関長をしていた有島武の次男として生まれました。
そのため、幼い頃から吉田清成、吉原重俊、山尾庸三、園田孝吉らといった官僚の子供たちと親しく交流していました。
本名は壬生馬(みぶま)といい、号を雨東生、十月亭と称しました。
兄に小説家の有島武郎(たけお)と弟に小説家・里見弴(とん)がいます。
甥には武郎の実子である俳優の森雅之がおり、武郎が心中した後は彼の親代わりとなって育てました。
また、妻の信子は政治家・原田熊雄の妹です。
 
初等科六年から学習院に通うようになり、志賀直哉と知り合い親友となります。
のちに志賀直哉や児島喜久雄と共に文芸美術雑誌「白樺」の創刊に参加し、有島生馬の代表作となる「蝙蝠の如く」を描いています。
しかし、女性問題から志賀直哉と疎隔が生まれ、敗戦後には「蝕まれた友情」を書いて絶交しています。
この事からも小説家としても活躍していた事が伺えます。
 
満17歳の時に胸膜炎を患い、休学し、父の故郷・鹿児島県川内で静養中に日本のカトリック僧と出逢った事がきっかけでイタリアの芸術に魅かれるようになり、東京外国語学校伊太利語科に入学し直しました。
 
洋画家・藤島武二のもとに入門し、イタリアに留学して絵画の勉強に励み、ヨーロッパ諸国を歩いて様々な西洋芸術について学びました。
帰国後、セザンヌなどのフランスの印象派を日本にいち早く紹介し、南薫造と共に出展・開催した白樺社第一回目の滞欧記念絵画展覧会によって、写実を基本とした穏やかな作風で日本近代絵画史上に名を残しました。

有島生馬年表


1882年 神奈川県横浜市で生まれる
1904年 東京外国語学校イタリア語科を卒業し、藤島武二に師事する
1905年 イタリアへ留学し、国立ローマ美術学校に入学する
1906年 パリでラファエル・コラン、ブリネーに指導を受ける
1910年 帰国後、雑誌「白樺」の創刊に参加する
1911年 第11回文展に入選する
1913年 第二科美術展覧会を創設し、壬生馬から生馬に改名する
1926年 フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を受章する
1935年 帝国美術院会員となる
1936年 一水会の創立に参加する
1937年 帝国芸術院会員となる
1938年 紀元2600年奉祝美術展覧会委員をつとめる
1939年 第1回黒門会展覧会を開催する
1947年 日本芸術院会員となる
1958年 日展常任理事となる
1964年 文化功労者となる
1974年 勲二等瑞宝章を受章
91歳で逝去

1882年 神奈川県横浜市で生まれる

1904年 東京外国語学校イタリア語科を卒業し、藤島武二に師事する

1905年 イタリアへ留学し、国立ローマ美術学校に入学する

1906年 パリでラファエル・コラン、ブリネーに指導を受ける

1910年 帰国後、雑誌「白樺」の創刊に参加する

1911年 第11回文展に入選する

1913年 第二科美術展覧会を創設し、壬生馬から生馬に改名する

1926年 フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章を受章する

1935年 帝国美術院会員となる

1936年 一水会の創立に参加する

1937年 帝国芸術院会員となる

1938年 紀元2600年奉祝美術展覧会委員をつとめる

1939年 第1回黒門会展覧会を開催する

1947年 日本芸術院会員となる

1958年 日展常任理事となる

1964年 文化功労者となる

1974年 勲二等瑞宝章を受章

00000年91歳で逝去


有島生馬代表作


『白いブラウス』
『真夏の庭』
『ロッカ・ディ・パーパの山村』
『昭和新山』

『白いブラウス』

『真夏の庭』

『ロッカ・ディ・パーパの山村』

『昭和新山』


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