満州生まれの日本の芸術家で、画家、版画家、挿絵画家、彫刻家、陶芸家、作家、映画監督など多彩な分野で活躍した事で知られています。
「エロスの作家」とも呼ばれており、官能的な作風が多く、官能的な女性を描かせたら当代一であったといわれています。
戦後は長野県で育ち、高校生の時に描いた作品が入選し、画家を志すようになります。
東京藝術大学を受験しますが3回受験に失敗しており、1回目は油絵科、2回目は彫刻科を受験しています。
大学には合格できませんでしたが、酒場や路上で似顔絵などを描いて生活しながら自由美術家協会展に出品し、入選を果たします。
また、瑛九の勧めで色彩銅版画に取り組むようになり、東京国際版場ビエンナーレ展で入選を果たし、文部大臣賞を受賞するなど脚光を浴びる事となります。
その活躍は日本だけにとどまらず、海外での活躍も見られ、パリ、サンパウロなどの国際版画展でも受賞を重ねます。
この受賞の裏には、パウル・クレーやウィレム・デ・クーニング、雪舟の水墨画などの影響を受けていた事から、東洋の影が見える池田満寿夫の版画作品は外国人審査員の心を掴んだからでした。
この他にも文学、書、映画、陶芸など様々な芸術に関心が傾き、「エーゲ海に捧ぐ」では芥川賞を受賞し、池田満寿夫自身の手で映画化されています。
また、書は独学で習得しており、小説家・子母沢寛が読売新聞で連載をしていた際は、カットや題字を引き受けており、後の陶芸作品の箱書きも見事に書き上げています。
このように多彩な芸術に携わっていた事で幅広い交友関係を持っていましたが、画壇に属する人々とはほとんど付き合わず、自らの信じるべき芸術の道を貫き通した作家として、高い知名度を誇っていますが、現在でも正当に評価されていない作家の一人に挙げられます。