和歌山県出身の昭和~平成時代に活躍する日本画家です。
創画会の設立者として日本美術界に貢献し、幻想性と詩情性をあわせもつ作品を多く制作しています。
父親はデザイナーの稗田耕一で、幼い頃から父親の仕事を見てきた稗田一穂は芸術に興味を持ち、画家を志すようになり、9歳で阿倍野橋洋画研究所へ通うようになり、ここで絵画の基礎をしっかりと学んでいきました。
さらに絵の勉強、研究を極めるために大阪市立工芸学校工芸図案科を卒業して上京し、東京美術学校日本画科に入学します。
じっくりと絵の勉強をしたかった稗田一穂ですが、戦時中という事もあり繰上げ卒業となりました。
卒業後も山本丘人に師事して繊細ながらも大胆で写実的な美しい作品を発表するようになると世間から注目されるようになり、多くの美術展で受賞を重ねていきます。
花鳥図を得意とした稗田一穂は、鳥の野性的な部分を上手く切り取り、幻想的な背景と合わせる事で神秘的な雰囲気を表現する事に成功しており、その作風は19世紀~20世紀フランスの素朴派の画家アンリ・ルソーの影響を受けています。
1920年 和歌山県で生まれる
1933年 大阪市立工芸学校工芸図案科に入学する
赤松麟太郎と山口正城に学ぶ
1939年 東京美術学校日本画科に入学する
1943年 戦時体制のため、繰上げ卒業となる
1944年 山本丘人に師事する
1946年 第1回日展で初入選となる
1948年 創造美術結成に参加する
第1回展で奨励賞を受賞する
1951年 サンパウロ・ビエンナーレ国際美術展に出品する
1966年 東京藝術大学非常勤講師をつとめる
1967年 法隆寺金堂壁画再現模写に参加する
1970年 東京藝術大学美術学部日本画科助教授となる
1972年 東京藝術大学美術学部日本画科教授となる
1974年 新制作協会を脱退し、新たに創画会を結成する
1978年 第2回長谷川仁記念賞を受賞する
1988年 第1回MOA岡田茂吉賞絵画部門大賞を受賞する
1991年 日本芸術院賞恩賜賞を受賞する
1994年 女子美術大学大学院教授となる
1995年 勲三等瑞宝章を受章する
2001年 文化功労者となる
1920年 和歌山県で生まれる
1933年 大阪市立工芸学校工芸図案科に入学する
00000年赤松麟太郎と山口正城に学ぶ
1939年 東京美術学校日本画科に入学する
1943年 戦時体制のため、繰上げ卒業となる
1944年 山本丘人に師事する
1946年 第1回日展で初入選となる
1948年 創造美術結成に参加する
00000年第1回展で奨励賞を受賞する
1951年 サンパウロ・ビエンナーレ国際美術展に出品する
1966年 東京藝術大学非常勤講師をつとめる
1967年 法隆寺金堂壁画再現模写に参加する
1970年 東京藝術大学美術学部日本画科助教授となる
1972年 東京藝術大学美術学部日本画科教授となる
1974年 新制作協会を脱退し、新たに創画会を結成する
1978年 第2回長谷川仁記念賞を受賞する
1988年 第1回MOA岡田茂吉賞絵画部門大賞を受賞する
1991年 日本芸術院賞恩賜賞を受賞する
1994年 女子美術大学大学院教授となる
1995年 勲三等瑞宝章を受章する
2001年 文化功労者となる