フェルナン・クノップフはベルギー出身の画家です。
人間の内面や夢、神秘性などを象徴的に表現する事を目的とし、フランスとベルギーで起こった芸術運動(象徴主義)の画家として知られています。
フェルナン・クノップフはベルギーのグレムベルゲン=レ=テルモントで名門の長男として生まれています。
クノップフ家で男子として生まれるとほとんどが法律家か判事となるためにフェルナン・クノップフは法律関係のキャリアを積む運命でした。
フェルナン・クノップフが生まれてすぐに父親が王立裁判所の検事に任命され大都市のブルージュに移住し、フェルナン・クノップフは幼少期をこの地で過ごした後にブリュッセル自由大学法学部に入学しています。
大学では、後のベルギー象徴主義文学の代表的存在となるマックス・ワラーやエミール・ヴェラーレンらと親交を重ね、大学を中退しブリュッセル王立美術アカデミーで本格的に絵画を学んでいます。
フェルナン・クノップフは在学中にパリを訪れウジェーヌ・ドラクロワ、ギュスターヴ・モローらに出会い、象徴主義に傾いていきました。
後に二十人会やレソール展に参画し、出品を重ねながら独自の作風を確立していきました。
二十人会の解散後は神秘主義者のジョセファン・ペラダンを筆頭にした薔薇十字会の招待を受けて年次展へ出品しています。
また定期的にイギリスを訪れ、ラファエル前派やウィーン分離派の画家たちと親交を深め、ウィーン分離派展にフェルナン・クノップフの傑作と呼ばれている「愛撫」を出品しています。
この「愛撫」はウィーン分離派の頂点といわれているグスタフ・クリムトの作風にも影響を与えたとされています。
フェルナン・クノップフはベルギー象徴主義で重視される存在として地位を確立します。
しかしベルギー王立美術アカデミー絵画部門の会員に選ばれた後にブリュッセルで亡くなっていますが、フェルナン・クノップフの作風でもある人物の焦点がどこにあるのか分らない、生気の感じられない作品は、存命期よりもカルト的な人気があります。
また、妹のマルグリットや薔薇十字会の首領ジョセファン・ペラダンとの関係を考慮しながらフェルナン・クノップフの作品を拝見すると新たな解釈が生まれるといわれています。