ポール・ゴーギャンはフランスのポスト印象派の画家です。
ポール・ゴーギャンの作品はとても強烈で自己主張の強さが特徴的で、特異な存在として知られています。
作品は遠近法を感じる事が出来ない程、平坦に色が塗られており神秘的です。
またゴッホなどと同じく19世紀末を代表する偉大な画家として認められています。
ポール・ゴーギャンはフランスのパリに生まれました。
父は共和系のジャーナリストで、二月革命後の新政府の弾圧を恐れてペルーのリマに亡命しています。
しかし父が急に亡くなったため残された母とゴーギャンはペルーで数年間過ごした後にフランスに帰国しています。
フランスに帰国後は神学学校に通い、17歳になると航海士となり南米やインドを訪れたといわれています。
その後ゴーギャンは、およそ3年間海軍に在籍し普仏戦争に参加しています。
除隊後は証券会社の社員となりデンマーク出身の女性と結婚し、趣味で絵を描いていました。
結婚の翌年にゴーギャンはカミーユ・ピサロと出会い、ピサロを通じて印象派の画家達と知り合いました。
サロンに初入選するとピサロのすすめで印象派展に参加し出品し続けます。
その後、株式相場が大暴落し仕事に不安を覚えると証券会社を退職し、画業に専念する事を選択しました。
それからのゴーギャンは、エミール・ベルナールと総合主義を成立させた後にタヴァン派の中心人物となっています。
またこの頃、ゴッホから誘いを受け南フランスのアルルで共同生活を送りながら制作活動を行っています。
しかしゴッホの耳切り事件などもあり2ヶ月で終止符を迎えています。
ゴーギャンはその後、憧れていたタヒチに渡りますが2年ほどでフランス戻っています。
しかし再度タヒチを訪れておりタヒチで人生の最後を迎えています。
ゴーギャンの作品の多くはタヒチを題材にしています。
傑作と呼ばれているそのほとんどは、再度タヒチを訪れた際に描かれています。
ゴーギャンの作品はポール・セザンヌに「支那の切り絵」と罵られますが西洋絵画への訴えを表現されている孤高の作品群は徐々に名声を得ていきました。