スウェーデン出身の洋画家で、写実的で外光派やバルビゾン派的な作風を多く残した事で知られています。
はじめは豊かな自然や農村の風景などを描いていましたが、徐々に少女を中心とした肖像画を描くようになり、多くの作品を残しました。
また、歴史画家・ピエール·シャルルコントに学んでおり、ヒューゴ・サルムソンの作品からはピエール·シャルルコントの影響を受けていると思わせる作品も見られます。
スウェーデンのストックホルムで生まれたヒューゴ・サルムソンはフルネームをヒューゴ・フレデリック・サルムソンといいます。
ストックホルムはスウェーデン最大の都市であり、北欧を代表する世界都市として知られており、ヒューゴ・サルムソンも様々な刺激を受けて育ちました。
しかし、作品には故郷であるストックホルムの風景はほとんど描かれていませんでした。
画家を志し、スウェーデンの芸術アカデミーで学んだヒューゴ・サルムソンは優秀な成績をおさめ、アカデミーから奨学金を受ける事になりました。
その奨学金でフランス・パリへ留学する事を決意すると、そのままフランスで生活を続けました。
フランスのパリ郊外にあるグレー=シュル=ロワン村は芸術家の集まる村として知られており、1880年代は特に北欧の画家が多く集まっていました。
ヒューゴ・サルムソンもグレー=シュル=ロワン村に訪れた画家の一人で、スウェーデン画家としては初めて訪れた画家でした。
しかし、滞在期間は非常に短く、グレー=シュル=ロワン村での作品は残していないようです。
ちなみにこのグレー=シュル=ロワン村には画家・カール・ラーションや作曲家・フレデリック・ディーリアスなども訪れており、日本からも黒田清輝が日本人で初めて訪れています。
グレー=シュル=ロワン村にはバルビゾンやフォンテンブローにはない魅力があったといわれ、それはこの村に流れるロワン川であったと言われています。
ヒューゴ・サルムソンは才能のある画家として評価されていましたが、芸術的独創性と誠実さが欠けていたと言われています。
しかし、国立博物館やアカデミーなどに作品が購入されている事からも高い評価をする人物が多かった事が分かります。