ピエール・ボナールはパリで活動していた前衛的な芸術集団のナビ派の画家です。
ナビ派の中で最も日本美術の影響を受けている画家としても知られています。
ピエール・ボナールはオー=ド=セーヌ県・フォントネー=オー=ローズで陸軍省の役人の息子として生まれました。
大学の法学部に入学しますがアカデミー・ジュリアンにも通い、その後エコール・デ・ボザール(官立美術学校)にも通っています。
アカデミー・ジュリアンではポール・セリュジエやモーリス・ドニと出会い、後にセリュジエを中心にナビ派と呼ばれる画家グループを結成します。
またエコール・デ・ボザールで開催された日本美術展で日本絵画に影響を受けています。
ピエール・ボナールは後に神経症を患ってしまいますが、美しく入浴好きなマリア・ブールサン(通称マルト)と出会い結婚しています。
その後、ボナールの作品に描かれる女性のほとんどはマルトがモデルを務めていたといわれています。
ピエール・ボナールの作品はセザンヌと日本絵画の影響からか平面的で装飾的です。
作品の一部に見る事が出来る極端に面長な画面は掛軸の影響だともいわれており、浮世絵版画の影響からか人物などの主要なモチーフが画面の端で切られています。
この手法は伝統的な西洋美術には見られない事から注目されました。
ピエール・ボナールの作風は初期の頃は茶系を中心とした地味な色調が多く、後に暖色を主に活用した華やかな色調に変化しています。
ピエール・ボナールの華麗な色彩表現は、印象派や日本絵画、浮世絵版画とも全く違う独自の感性だといわれています。
ピエール・ボナールの晩年は病弱なマルトの療養もかねて南フランスのル・カネに家を構え、この土地でもっぱら庭の風景、室内情景、静物など身近な題材を描きながら亡くなるまで過ごしました。