ピエト・モンドリアンはオランダ・アメルスフォースト出身の抽象絵画の巨匠です。
本格的な抽象画を描いた最初期の画家だといわれています。
ピエト・モンドリアンは幼少の頃に叔父と一緒に郊外に出かけ、スケッチを行う事で絵画への興味が膨らんだといわれています。
20歳くらいになるとアムステルダム国立美術アカデミーに通い、伝統的な美術を学んでいます。
学生時代から線描よりも色彩重視の作風で、卒業後はリアリズムを離れるようになり、ポスト印象派や印象派、中でもゴッホやスーラの影響を受けており、色と線そのものが自由に語る事が出来るようにしようと研究していました。
ピエト・モンドリアンはピカソやブラックが提唱していたキュビズムの作品に大きな影響を受けた後、パリに渡りキュビズム理論の平面的で幾何学的な形態で物事を表現することに取り組みます。
この頃から抽象への傾向が強くなりキュビズムの先を目指し更に研究に励みます。
その後ピエト・モンドリアンは新造形主義という芸術理論を提唱し、宇宙の調和を表現するには完全に抽象的な芸術が必要だと述べています。
その後、様々な表現実験を繰り返し、ピエト・モンドリアンの作品は極限まで単純化され幾何学化された海や樹木の作品から物事の形態からかけ離れた3原色と水平、垂直の線で構成された「コンポジション」のような抽象絵画へ移行していきます。
ピエト・モンドリアンは後に第一次大戦の戦禍を避けてアメリカ・ニューヨークに移住します。
「コンポジション」の作品を描き続けていたピエト・モンドリアンは、フォーチュン誌の亡命芸術家12人を特集した記事に建築、工業デザイン、レイアウト、タイポグラフィーなどの商業美術に大きな影響を与えた人物として取り上げられた事でピエト・モンドリアンの作品はより知れ渡りました。
後に生涯初となる個展を開催し、ニューヨーク時代の代表作「ブロードウェイ・ブギウギ」がニューヨーク美術館に購入されるなど高く評価されています。
また何かを描写したのではなく作品自体が新しい物事となるように研究を行い、自分自身の目標を高め、常に悪戦苦闘すると述べている彼の姿勢は様々な変化をしながら抽象表現主義やミニマルアートに継承されています。