フィリップ・オットー・ルンゲは合理主義、古典主義に対抗し自由な表現を追及していた文芸運動のロマン主義を代表するドイツの画家です。
フィリップ・オットー・ルンゲはスウェーデン領ボンメルン・ヴォルガストで生まれました。
当初フィリップ・オットー・ルンゲは親の仕事を継ぎ、商人となりましたが画家になるという夢を捨てる事が出来なかったためか、後にコペンハーゲンのアカデミーに通っています。
デンマークの首都ドレスデンに移ると複数のロマン主義者と出会い、他にもヤーコプ・ベーメの著作に親しみました。
また、ドレスデンで商人の娘であるパウリーナ・バセンゲと結ばれ、結婚後はハンブルクに移っています。
彼女は主人であるフィリップ・オットー・ルンゲの作品のモデルも務めていたといわれています。
フィリップ・オットー・ルンゲは北方ロマン主義の代表的な画家のカスパー・ダーヴィト・フリードリヒと負けず劣らず評価され、フリードリヒとも親交があったようです。
フィリップ・オットー・ルンゲの作品は、フリードリヒの宗教画や風景画とは違い、人物描写を主に描いていました。
特に子供の肖像画には高い評価を得ていました。
フィリップ・オットー・ルンゲは絵画の実績だけではなく、色の球体で芸術論にも貢献しています。
そのやり取りをゲーテとの手紙に残しており、フィリップ・オットー・ルンゲが初めて3次元の色彩の体系を作り出したとされています。
その他にもドイツ文学にも影響を与えたといわれています。
フィリップ・オットー・ルンゲの風景と人間の環境世界を芸術的に描くという構想は、総合芸術の先駆けとされています。
しかし才能に恵まれていたが、病弱だったために33歳という若さでこの世を去りました。